http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51708664.html
科学と信仰はものすごく近いものだ、と思う。というか、自分の中では何割か同一視されている。実際、現在科学の領域とされる部分の多くはかつて宗教の領分だったし、かつて宗教の領域だったものの多くが現在科学の領域内にある。
両者ともに、それは自分を取り囲む世界の情報と、自分の知っていることを結びつけて、情報を解釈し、理解する働き。両者の違いは、理解するための材料や根拠が「科学的」と呼ばれる種類の、理知的で緻密で観測をベースにしたものであるか、神様のような証明不能で信じるしかないようなものか、という点。
たとえば洪水が起こったとして、それを「増水のメカニズム」「雨量」など観測的事実や理論をもとに理解するのが科学。「神の怒り」として理解するのが信仰。
信仰も科学も幸福のためではなく、不安の解消のためにある。
たとえば先の地震。突然に地面が大きく揺れ、様々なものが破壊されるとか、それはそれは恐ろしいことだし、どれくらいの頻度で起こるかもわからなければ、翌日から毎日が恐怖と不安でたまらないだろう。
それをプレートテクトニクスで説明する。神の怒りだと説明する。どんな形でもいい。「きちんとスジの通った説明」がなされ、それを受け取った側が納得し、受け入れればそれが「安心」につながる。
周囲を見回してみれば金融システムやら保険やら様々なサービス、家、社会、ルール、法律、様々なものが「不安」を避けるために構築されていて、世の中というのは思っている以上にシンプルな感情に支配されているのかもしれないと時々感じる。
0 件のコメント:
コメントを投稿