http://slashdot.jp/journal/568446/JSARAC%E3%81%8CMIDI%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81%97%E3%81%9F%E8%AB%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%B2%E3%82%82%E8%A7%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%BF%E3
これについたコメントを読みながら、「ああ、MIDI文化ってそういえばオープンソースコミュニティに近いものあったなぁ」っていうことを思い出したりしていた。
当時MU128というYAMAHAの音源で打ち込みなどやっていて、どこかで入手したグラディウスの曲だったかを打ち込んだMIDIデータがめちゃくちゃいい音で感動してひたすらMIDIデータ見てた事があった。優れた技をソースコード的なものを通して学べるっていうことは貴重だったし、いい経験だった。
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そんなやりとりがJASRACの動きによって阻害された、っていう感じはやっぱりあって、そりゃ自由にやりたいところに五月蝿いこと言う人がしゃしゃり出てきたら文化っていうやつの熱量は一気に冷めるもので。
もちろん著作権というものをないがしろのしたいわけじゃないんだけど、なんかもうちょっと上手いやり方はなかったものなのかなというのは今でも思っている。
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うーん、オープンソースな音楽というのはやっぱりいつかやりたいなぁ
2013年11月25日月曜日
2013年11月2日土曜日
2013年11月2日
嫌儲っていうのあるけど、あれって結局儲けることそのものが嫌だとか嫉妬とかする人はそんな多くなくて、どちらかというと儲けに走る奴がたいてい面白くないことをするので、その「面白くないこと」に対する嫌悪感なんだろうなと。
儲けに走る人々というのはほんとに面白くないことをするし、
面白くない事をするだけならまだしも、もともとあった面白いものを蹂躙して破壊するようなこともよくするので。
それに対する防衛本能として嫌儲というムードがあるんだろうなと。そんなことをふと思ったりした。
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OSXのトラックパッドのスクロール方向が逆になったのは納得できてるのだけど、その設定をONにした時にマウスのホイールのスクロール方向が一緒に逆なるのがMarverickになっても設定で変更できるようになってないことだけは納得できない。
儲けに走る人々というのはほんとに面白くないことをするし、
面白くない事をするだけならまだしも、もともとあった面白いものを蹂躙して破壊するようなこともよくするので。
それに対する防衛本能として嫌儲というムードがあるんだろうなと。そんなことをふと思ったりした。
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OSXのトラックパッドのスクロール方向が逆になったのは納得できてるのだけど、その設定をONにした時にマウスのホイールのスクロール方向が一緒に逆なるのがMarverickになっても設定で変更できるようになってないことだけは納得できない。
2013年10月28日月曜日
2013年10月28日
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131026
用語の定義を正しく共有しようとするっていうのが議論の最初に必要なことなんだけど。
しかし設問がひどい気もするというかなんというかげふんげふん
ギャンブルっていうのは「賭け」のことで、「賭け」というのは「運」のような不確定な要素によって結果の決まる何かに、リターンを期待して大事な何か(たとえばお金)を注ぎ込むような行為のことかなーと思うわけですが。
なので不確定要素があるものは全て「ギャンブル性」を持っていて、ゲーム/行為によってその「ギャンブル性」の多寡がある。
サイコロ振って奇数が出るか偶数が出るかを当てる、というのは(サイコロに何かの仕掛けでもない限り)完全に運任せなので、その結果によって金銭が増えたり減ったりするのはそれは純粋にギャンブルで、
一方、ポーカーや麻雀は優秀なプレイヤーならば、状況によって勝つ確率を上げることができるので、ゲームとしてギャンブル性が下がっていく、みたいな話
って試しに書いてみたけどマジでつまらないなこの話。反省。
--------------
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3095.html
才能、というか生まれつきによって能力に違いがあるっていうのはもうそろそろ受け入れられてもいいと思うんだけれども。
それこそ身長とか体格とか、外見がこれだけ生まれつきちがっているのに、生まれ持った能力とか才覚が全く同じで努力次第でどんな人でもトップアスリートになれるとか思うのはさすがに考えの筋が悪い。
男女の違いも生まれながらに持ったものの違いも受け入れたほうが色々うまくいくと思うし、自分の生まれ持ったものが一番活かせる場にどうやってたどり着くか、そういうことを考えて努力するほうが少なくとも人生は良い方向に向かいそうに思う。
用語の定義を正しく共有しようとするっていうのが議論の最初に必要なことなんだけど。
しかし設問がひどい気もするというかなんというかげふんげふん
ギャンブルっていうのは「賭け」のことで、「賭け」というのは「運」のような不確定な要素によって結果の決まる何かに、リターンを期待して大事な何か(たとえばお金)を注ぎ込むような行為のことかなーと思うわけですが。
なので不確定要素があるものは全て「ギャンブル性」を持っていて、ゲーム/行為によってその「ギャンブル性」の多寡がある。
サイコロ振って奇数が出るか偶数が出るかを当てる、というのは(サイコロに何かの仕掛けでもない限り)完全に運任せなので、その結果によって金銭が増えたり減ったりするのはそれは純粋にギャンブルで、
一方、ポーカーや麻雀は優秀なプレイヤーならば、状況によって勝つ確率を上げることができるので、ゲームとしてギャンブル性が下がっていく、みたいな話
って試しに書いてみたけどマジでつまらないなこの話。反省。
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http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3095.html
才能、というか生まれつきによって能力に違いがあるっていうのはもうそろそろ受け入れられてもいいと思うんだけれども。
それこそ身長とか体格とか、外見がこれだけ生まれつきちがっているのに、生まれ持った能力とか才覚が全く同じで努力次第でどんな人でもトップアスリートになれるとか思うのはさすがに考えの筋が悪い。
男女の違いも生まれながらに持ったものの違いも受け入れたほうが色々うまくいくと思うし、自分の生まれ持ったものが一番活かせる場にどうやってたどり着くか、そういうことを考えて努力するほうが少なくとも人生は良い方向に向かいそうに思う。
2013年10月16日水曜日
2013年10月16日
個人的な興味で色々調べものをしていて、
結局Webにそんなに情報って蓄えられてない、というか、
きちんと体系的にびしっと整理されているものがそこまで多くない、というか
多分全部まとめれば相当な情報量なのだろうけど横串通ってないというか
なんだかんだでお金出して本買ったほうが早いな、という事が最近本当に多い。
結局1ページ/1記事をインスタントに消費するのに最適化されすぎてて、
体系立てて編集してまとめるノウハウや仕組みも
体系立ててまとまった記事を読むUIも
何もかも不十分なのかなぁとそんな事を思いつつ。
ほんと最近、本買って読んでるほうがWeb見てるより面白いなぁと思う。
好奇心が正しく満たされる感じというか。
ま、お金出して読むものと無償で読んでるものを比べる事自体が間違っているといえばいるし、単純に自分が今調べているのが世間的にマイナな領域なので、というのもあるのだけど。
とか言いつつ、そういう本の情報を探す上ではネットっていうのは便利だなぁとも同時に思っていて、なんというか適材適所。
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またフォーカスしたい分野が少し動きそうな予感がしている今日この頃。
2013年9月10日火曜日
2013年9月10日
Webにここまで情報が乱雑に大量にあると、それをもっともらしく編集し(まとめ)て人をミスリードしたりダマしたりするのも容易だなぁと思うわけで。
もちろん読み手が賢くなって自衛すればいいといえばいいのだけど、それができるのはやっぱりある程度賢い人じゃなきゃ無理で。
Webにアクセスするのが当たり前になって、誰もが当たり前に触れる情報源になっている今、そういう「賢さ」をアテにするような仕組みは全然スマートじゃないと思うし。
各Webページの「信頼性」「質」みたいなものを誰もが正確に把握できるようになるか、あるいは信頼性の低いページが目に入らないようにするような何かいい方法はないものか、ともやっと思いつつ、
しかしそもそもその信頼性とか質というのは一体なんなんだろう、という点でまたもやっとしている、そんなもやっとした午後。
---------
三人寄れば文殊の知恵というけど、賢い人が三人寄って出てくる知恵と普通の人が三人寄って出てくる知恵ではやっぱり出てくる知恵が違うと思うし、
群衆の叡智とかいうやつは、優れた叡智を持った人間の割合の多い群集のほうが、確率論的には優れた叡智が生まれやすいのだろう。
---------
情報発信のハードルの高さはある程度必要かもしらんね。
もちろん読み手が賢くなって自衛すればいいといえばいいのだけど、それができるのはやっぱりある程度賢い人じゃなきゃ無理で。
Webにアクセスするのが当たり前になって、誰もが当たり前に触れる情報源になっている今、そういう「賢さ」をアテにするような仕組みは全然スマートじゃないと思うし。
各Webページの「信頼性」「質」みたいなものを誰もが正確に把握できるようになるか、あるいは信頼性の低いページが目に入らないようにするような何かいい方法はないものか、ともやっと思いつつ、
しかしそもそもその信頼性とか質というのは一体なんなんだろう、という点でまたもやっとしている、そんなもやっとした午後。
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三人寄れば文殊の知恵というけど、賢い人が三人寄って出てくる知恵と普通の人が三人寄って出てくる知恵ではやっぱり出てくる知恵が違うと思うし、
群衆の叡智とかいうやつは、優れた叡智を持った人間の割合の多い群集のほうが、確率論的には優れた叡智が生まれやすいのだろう。
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情報発信のハードルの高さはある程度必要かもしらんね。
2013年9月9日月曜日
2013年8月12日月曜日
2013年8月12日
Twitterで「うちらゎ」で検索すると違う世界が見えるというtweetがあったので検索してみて、なるほど確かに違う世界が見えた。
ふと思い立って「ゎ」で検索したらそれとだいたい同じ世界が見えたので、自分の中でそちらの世界を「ゎ族」の世界と呼ぶことにした。
「ゎ族」はだいたい若い子で構成されていて、プロフィールアイコンは自身と思われるプリクラみたいな写真で、なぜか友達と一緒に写っているものがよく選ばれているようだ。プロフィールにはこれまで通ってた学校とか今通ってる学校とかクラスとか書いてあり、tweetもかなりパーソナルな内容が多い。
最近ソーシャル・エンジニアリング方面の本など何冊か読んでいる関係もあって、そこに潜在的にあるリスクをいくつか想像してぞっとしたのだけど。
でも、ある程度閉じた人間関係・コミュニティの中で過ごしていた場合、周囲のみんながやっていることこそが「常識」であり、そこを疑うのは難しいだろうな、とも思う。
自分の友達がみんなプリクラみたいな写真をプロフィールアイコンにしていたら、そういうものかと思ってそれに倣うだろう。
自分にとっての「常識」が通用する範囲というのは想像以上に狭い。そういう事を気に留めておくだけで世の中の見え方は結構違ってくる気がする。
ふと思い立って「ゎ」で検索したらそれとだいたい同じ世界が見えたので、自分の中でそちらの世界を「ゎ族」の世界と呼ぶことにした。
「ゎ族」はだいたい若い子で構成されていて、プロフィールアイコンは自身と思われるプリクラみたいな写真で、なぜか友達と一緒に写っているものがよく選ばれているようだ。プロフィールにはこれまで通ってた学校とか今通ってる学校とかクラスとか書いてあり、tweetもかなりパーソナルな内容が多い。
最近ソーシャル・エンジニアリング方面の本など何冊か読んでいる関係もあって、そこに潜在的にあるリスクをいくつか想像してぞっとしたのだけど。
でも、ある程度閉じた人間関係・コミュニティの中で過ごしていた場合、周囲のみんながやっていることこそが「常識」であり、そこを疑うのは難しいだろうな、とも思う。
自分の友達がみんなプリクラみたいな写真をプロフィールアイコンにしていたら、そういうものかと思ってそれに倣うだろう。
自分にとっての「常識」が通用する範囲というのは想像以上に狭い。そういう事を気に留めておくだけで世の中の見え方は結構違ってくる気がする。
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