今日ふと見かけたリンクをクリックしたら、伊藤計劃氏のはてダにたどり着いた。伊藤計劃氏はご存じの方も多いかもしれないがすでに亡くなっていて、当然其のはてダの記事も2008年のもの。古いなぁ、と思いながら読み進めるうちにその「古いなぁ」という感覚に違和感を感じた。
情報の新しい古いというのは、情報の価値を判断する上で確かに一つの大事な要素であるのだが、それは数多くある中の一つのパラメータでしかない。
たとえば2012年の時点で2000年に書かれた誰かの記事を見たとする。それは確かに古い記事だ。だが、古くても有用な情報というのはいくらでもあるはずではないか。
日記、Blog、Twitter、Facebookなどに投稿される記事は、(それを書いた本人にとってはともかくとして)それを受けとる側の人にとっては、最新の投稿、最新の記事にこそ価値があるように感じられる。
そういう印象をどうしても与えてしまうフォーマットだ、という気がする。
だからこそ余計に、書き手にも最新のものこそ重要というフィードバックもかかってリアルタイムを志向する。そういう側面がもしかしたらあるのだろうか。
今想定している理想的な状況を作り上げるには、多分まずは「書く環境」から刷新していく必要があるのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿