自分の行動が直情的/インスタントになっているなぁと感じる。
一眼レフみたいな大仰な道具で、写真を撮るぞ、作品を作るぞ、という気持でじっくり撮影をする、とか、推敲に推敲を重ねて磨き上げた文章を仕上げる、とか、そういうことに腰を据えて取り組むのがなんか億劫になっているというか。
一眼レフは重いし持ち出す気にならないからiPhoneのカメラでいいか。
文章をしっかり書いて投稿とか面倒だしアウトプットできなくなるからTwitterでとりあえずつぶやいとくか。
そういうのって、それで得ているものもあるけどやっぱり失われているものもあるように思う。
要するにバランスの問題なのだけど。
インスタントで短期的な快楽の追究ばかりにならないように自分自身もう少しチューニングし直したいし、世間がそういうものばかりにならないようにしたいとも思う。
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facebookのつまらなさについて考えていたのだけど、人間関係の固定に加えて、だいたいアウトプットされてくる情報というのが想定の範囲内に収まる事も面白味の足りない部分なんだろうと思ったりした。
その人の人となりについて自分の知らない一面、というかその人により興味を持ったり、好きになったり関係を深めていくのに意味のあること、が流れてきてほしいし、その流れで双方の知人同士がまたつながっていくようになるならSNSとして意味があるのだろう。
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特定のテーマに基づくコミュニティ系サービスを成功させるには、そのコミュニティに参加するためのハードルは少し高めに設定したほうがよいのではないかと。
登録者数やらPVやら数字が大事なので参加者を増やす意味で参加する障壁は下げる設計のサービスが多い。けど、そういうことするとコミュニティとしての「濃さ」が下がってつまらなくなる。
コミュニティに合わない人の参加を極力避けるにはどうしたらいいか、っていうことについて少し研究してみたい。
…みたいなことを
http://matome.naver.jp/odai/2136901581146809401
これを見ながら感じた違和感に基づいてあれこれ考えながら思ったりした。
Webは参加する人が増えたことによってひたすら大衆化の道を進んでいるだけで、1.0だ2.0だなんて区分けにはあまり意味は無いように思う。
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