2010年5月12日水曜日

2010年5月12日

たとえばtwitterやmixiなどでお互いの素性や嗜好なんかを知った状態で初対面、という場合、服装だったりお化粧だったりをばっちりにするとかそういうことをする価値はさほど大きくない。というか、どれだけ飾り立てたところで、すでに内面を知っているのだから飾りの部分でどれだけ背伸びしても見透かされてしまう。

もしお互いにお互いの素性を知らない同士で、互いに必死にスクリーニングするような場面でなら、外見にこだわる価値はあるのだけど。

マスな時代っていうのは、多分そういう「互いに知らない同士」な状態だったんだと思う。互いに素性を知らない同士で「売りたい」「買いたい」が交錯する場だからこそ、イメージ戦略とかに意味があったんじゃないか。

こうしてインターネットを通じてある程度互いの顔が見えるようになってくると、どれだけ企業イメージだのなんだのを高めたところで見透かされてしまう。

どれだけソフトバンクが必死に企業イメージを高めようと広報戦略を打つよりも、トップがtwitterで「やりましょう」と言うほうが全然説得力があるし、信頼感も増す。

商売っていうのはもともとお客さんが目の前にいて、その人をどうやって喜ばせることを考えていたものだったはず。それがマスの時代に互いの顔をちゃんと見ずに商売が成り立つようになった。今やっとそれが元の形に戻りつつある。そんな気がする。

マスの時代みたいなバカみたいに大きな売り上げはあがらなくなっていくのかもしれない。でも、それぞれがそれぞれ身の丈にあった、人を喜ばせるモノが作られやすいいい時代になっていくんじゃないかな。そんな気がする。

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てか、ファッションの根本的な価値ってなんなんだろうね。
自分をかっこよく/かわいく見せる、とかだとしたら、極論もうそんなものはいらなくなるんじゃないかという気もするんだけど。

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