2009年7月3日金曜日

2009年7月3日

STUDIO VOICEが休刊だそうで。
時折ものすごくツボな特集組んでくれる雑誌で、いつも本屋に寄る時はかならず特集の内容をチェックしてました。

雑誌っていいんだよね。情報が適度に限られつつ集まってて。

情報って、一定の分量を超えると情報の元になる側も、情報を受け取る側も不幸になる、そういう分岐点みたいなものがあるように感じてる。たとえば音楽の情報を例にとってみる。ライブがあるとかCD出るとか、アーティストインタビューとか、情報量が増えれば増えるほど嬉しいかと思いきや、情報量が多くなりすぎると、情報の受け手はすぐに限界に達してしまって、取捨選択ができなくなり、最終的に関心を維持できなくなる気がする。そうなってしまうのは、音楽を提供する側にとっても音楽を受け取る側にとっても不幸なことだと思う。

雑誌って、紙のコストとか、顧客が支払える金額とかいった制限があるので、ページ数や情報量は必然的にある程度のところで限られる。限られた中に、できるだけたくさんの読者が喜んでお金を払ってくれるだけの情報を掲載しようとするので、濃度、密度みたいなものを必死に高めないといけなくなる。そうしないと媒体としての価値が上がらない。そういう「圧力」が自然とかかる。結果、非常にいい密度と情報のサイズにまとまりやすいと思う。

一方インターネットって、無尽蔵に情報をアーカイブできるし、発信のコストも低いし、ページという制限もない。だから、いくらでも情報を出したいときに出せる。速報性とか色んなメリットもあるけど、情報量が増えすぎたり、密度が薄まったりして、簡単に情報量が受け手の許容量を超えて爆発しやすいというデメリットも大きいと感じる。

願わくは休刊廃刊になった雑誌等の編集者の技能、才覚が、Webで発揮できるような未来があらんことを。
情報発信の手段としてBlogがまず筆頭に出る、そういう状況は、個人的には正直そろそろ終わりにしたい。

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GmailでGoogleが「消さずにアーカイブ。後で検索でおk」って言ってたけど、その通りにすると検索時にノイズがひどくて使い物にならない、っていうね。後で参照することのない、要らない情報はさっさと消すに限る。

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なんて言ったらいいのか、Blogが出てきたときに「あー、日記ね」っていうふうにとらえたのって、ものすごく的確なとらえ方だったんじゃないかな、ということを今日ふと思った。
日本の場合、2ちゃんねるとか古くはniftyフォーラムとか(見た事ないけど)、「議論する」みたいな事をする場所ってわりとちゃんとあるんだよね。かつ民族性、的なところで「俺が言った」ということを主張したりするのを好むわけでもない。

としたら、個人単位で時系列で何かが書けるという枠組みを提供されたら、それは日記として使うのが一番しっくりくる。んで、日記なんてそんな他人の日常見て面白い事なってそうそうなくて、近しい人の日記見せ合いたければSNSのほうが枠組みとしては適切。

Blogというフォーマットでコンテンツとして成立するのは、せいぜい有名人が書く日記くらいだな、と思ったら有名人ブログは確かに人気になっている。Amebaの目の付け所はさすがとしか言いようがない。

なんだかんだで日本のWebは独特な最先端を突っ走っている。
っていうどうでもいい日記。
を書くには確かに本当にBlogって便利だなー。

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http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000003072009

あー、なんかちょっと色々誤解してた部分がすっきりした。

つまり、コンテンツの「価値」がなくなる、っていうことじゃなくて、競争原理に乗っかったら「価格」の下限がゼロになるぞ、ってことね。
旧来のメディアでは製造原価とか流通コスト等があって価格は「ゼロ」にまで下がることはよほどの事がない限りなかったけど、ネット上では流通コストもないので激しい競争に晒されればどんどん「価格」はゼロに近づいて行かざるを得ないし、実際ゼロになることもある。

だから戦略としては、価格で競争しなくちゃいけなくなるような競争の激しいところに行かないこととか、価格ゼロのものをうまく広報等に活用して別の何かで収益をあげるとか、「ゼロになりうる」ことを視野に入れて考えなきゃいかんぜよ、と。

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