2009年7月31日金曜日

2009年7月31日

今ふと脳裏をよぎった言葉:「バーチャルWebプログラマ あい 17歳」

…なにかの病気ですねわかります。

2009年7月29日水曜日

2009年7月29日

宗教っていうのは、ある程度思考を強制してはじめて力を発揮する。逆境を「試練」として肯定的に受け入れさせたり、不幸を「罰」として受け入れさせたり。

…仏教だとか神道だとかいったスタンダードな宗教が強い力を持たないこの時代を背景にしてみると、「カルト」的な宗教団体にどっぷりはまる人っていうのも、まあなんか、納得できるような気がするなー、という、そんなふとした思いつき。

2009年7月28日火曜日

2009年7月28日

http://jp.techcrunch.com/archives/20090726are-apple-and-the-music-labels-mixing-holiday-cocktails-on-the-tablet/

なるほどねー。「タブレットPC」じゃなくて音楽/動画プレイヤーやフォトフレーム、電子書籍ビューワ的なものをまるっとまとめた「マルチメディアプレーヤ」をメインコンセプトにしつつiPhoneアプリ的なガジェットなども使えるような多機能デバイス、とかだったら、ラインナップ的にアリな気がするね。これなら他のものとも競合しにくい。

2009年7月27日月曜日

2009年7月27日

「プロ」のライブを見て、
演奏者から舞台演出、PAまで含めて完全なプロの仕事を目の当たりにして、
ふと、CGMプラットホーム、ってやつは、クリエイターをどこまで「育てる」ことができるのか、っていう事が何となーく気になったりした。

育てるプロの助力があってはじめて大きく育つことのできる才能の原石っていうのも、やっぱりあると思うわけで。
さーて。

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本当に、頭は使ってないとすぐに錆びるもんだなぁ…
どれだけ頭使えそうな仕事か、っていうのも気にした方がいい気がしてきた。

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1433

政治家の欲望が「議員として当選すること」であると仮定すると、いかに得票数を多くするか、が重要になる。とすると若者より老人、中小企業より大企業、弱者より強者を重視したほうが現状では戦略として正しいことにはなるね。
確かに若者がもっと選挙に行くようになるなりして、選挙の結果に影響力を持たないと、若者にとってありがたい政策とかは出てきにくい気がする。逆に言えば、政治家にとって当選するのに重要な人々だと認識させることができれば、政治も変わる可能性がある。

日本で政治におけるインターネット活用が進まない事とか、あれこれみんな政治家が高齢者層をメインターゲットに据えているから、とか仮定して考えてみると、色々面白いものが見えてくる。

政治家も結局は人なので、もしその人達にこちらの願うように動いてもらいたかったら、こちらからその人達が嬉しくなるような何かを提供するのが早い。なるほど。

2009年7月25日土曜日

2009年7月25日

http://jp.techcrunch.com/archives/20090724report-the-large-form-ipod-touch-apples-tablet-on-track-for-early-2010/

AppleのタブレットPCとか出るのかなー。どうなんだろうなー。
iPhone大きくする方向だったら、iPhoneのために組み上げられたUIかなり書き直しになるしアプリ作ってる人とかも作り直しなの?とか。
MacOSX動かすとしたら、OSXのマウス/トラックパッド前提のUIどうすんだろうなー、とか。
いまいち綺麗な収束ポイントがみつからん。


http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20090725/1248475955

個人的には、ニコニコ実況は、人さえ集まればすぐ面白くなってくると予想。もちろん見る人やコンテンツによる向き不向きはあると思うけど。たとえば某エンドレスエイトとか、これのコメント見ながらみたらめっさ面白そうだ…と思ったので、試みに昔買ったちっこいテレビを、PC付近に設置してみたりした。

あと、このサービスで重要なのは、「リアルタイムで見る」という事の価値がぐっと上がるところ。
これがあることで、「録画してみる」よりも「リアルタイムで見る」ほうが面白くなる人がたくさん出てきたら、多分番組のスポンサー的にも嬉しいことになると思う。だってCM飛ばさずに見てもらえるし、CMの反応も見ることができるわけだし。
自分がCM作ってる側だったら、絶対CM放送されるタイミングでここ見たりして、反応とか評価とかスルーされっぷりとか見たりすると思うし。

とりあえず今後どうなっていくかを生温かく見守っていく所存なのであります。

2009年7月22日水曜日

2009年7月22日

Adobeは最近なんか「夢」を見せてくれないなー、ということをふと思った。
それはまあ、自分が単に年をとっただけかもしれないけど。

なんかね、Adobeになって規模が大きくなって、なんかMacromedia時代の軽快さがなくなったような気がする。もしもMacromediaがMacromediaのままだったら今頃どうなってたかなー、ということをね、ちょっとだけ最近考えてしまうのです。

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最近音楽作りの趣味が活性化してて、FL Studioっていうソフトをメインに使ってるんだけど。なんかいいんだよねこのソフト。使い勝手のよさもさることながら、プログラマ趣味とかがプログラムに堂々と反映されてたりとか、公式フォーラムでプログラマとかが直々にあれこれ答えてくれたりとか、作り手との距離がちょっと近くて、かつ、いつも期待に応えてくれる感じが何気にすごくよかったりする。
あんな作り方できたらなー、と思う。

2009年7月20日月曜日

2009年7月20日

唐突に「ARコード」っていう言葉が思い浮かんだ。
よくあるARのマーカにQRコードみたいなやりかたで情報を埋め込んで、そのARマーカを撮ると埋め込まれた情報をもとに何かが描画される、みたいな。ハイブリッドな感じの何か。

たとえば自分のARコードに名刺画像を紐づけておいて、ARコード対応カメラでARコードと一緒に写真に写ると、ARコード部分が自分の名刺に書き換わった写真が撮れる、とか。

ARコードに埋め込むのは描画するオブジェクトの内容を指定したファイルのURLってことにするとかして、あれこれ標準化とかできたら意外と面白そうだなー、とか思ったり思わなかったり。

2009年7月13日月曜日

2009年7月13日

iPhoneが手元に届いてから2日目なのだけど、なんかわりと色々頑張らないといけないデバイスだなー、と思った。アプリとか入れてもわりとすぐ飽きるし、基本機能の使い勝手もそこまでいいわけじゃない。実用品になるまでには自分のスタイルとかに合わせてがんがんアプリ入れたりしてチューンナップしていかないといけない感じ。
…日本市場向けに、はじめからtwitterとmixiと産経新聞とその他日本人が好きそうなアプリ一通り入れたパッケージでも作ったらええのに。もしくは、iTSでアプリパッケージとか作ればいいのかな。

タッチパッドはまあ予想通りだけど、マウス操作とちがってポインタがない分、どうしても操作ミスが多い。
キーボードは間違った文字ついつい入力してしまうし、あとはゲームやってて思ったんだけど、結構ふとした時にさわってしまって誤操作とかしてしまったりとか…
このへんは慣れの問題なんだけど、もう一歩進化してくれると嬉しいなー、と思った。

タッチパッドは、色々なタイプのUIを組み込む上ではすごくいいシカケだけど、何かほんと、操作してる感をUI側でしっかりフィードバックしないと、すごい操作してて不安になる。その辺ちゃんと設計しないとアカンねこれ。ある意味インタラクションとかで悩んだFlashな人の活躍の場としては確かに最適なのかもしれない。

2009年7月10日金曜日

2009年7月10日

前にどっかで書いたような気がするけどただのメモ日記なので重複上等。

フェスとかにはそれなりに人集まってる割には、ライブハウス方面の盛り上がりについては現在微妙らしく。原因のひとつと言えるかもしれないのがチケットノルマ制。ライブハウス側としてはリスクがなく、お金払ってでもライブハウスでライブをしたいというバンドも多数あるのでニーズもあり、そこでビジネスとして成立してしまっている。
そういう仕組みだと、バンドもハコ側も集客の必要がない。だってそこにお客さんがいる必要ない。まあカラオケボックスを時間貸ししているようなものだしね。それはそれでビジネスとしてはアリだとは思うけど。

作り手演じ手が多くなると、その作り手とかに対してのビジネスのほうが安定して稼げるようになっちゃう事ってあるんだよね。myspaceとか見てると、CDプレスとかマスタリングとか、ミュージシャン相手の商売するには最高の場所だと思えてきたりする(し、実際そういう事やってる企業とかをよく見かける)

ただ、「文化」として考えたらこれはダメだろうと思う。お客さんの事考えて何かしてなければ、そりゃ人も集まらない。人が集まらなければお金にもならないしそこに夢もない。関わる人がみんな疲れていくだけだろうなー、と思う。

…という、そんな背景からかはたまた単に関わってる人が苦手なだけか、ライブハウスのライブ情報ってハコのオフィシャルサイトにも不十分な情報しかあがってなかったりということが多かったりとか。何か色々とできることのありそうなジャンルだなー、ということを、ちょっと前に頑張ってバンド活動してる後輩に聞いて思ったりしている。

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重複上等ついでにちょっと古いネタのメモが出てきたので書いておく。

なぜユーザー参加型サイトは人気になるとつまらなくなるのか
http://d.hatena.ne.jp/watanabi/20090410/1239378195
ユーザー参加型サイトの人口増加に伴う質の低下について
http://d.hatena.ne.jp/DCasakura/20090414/p1

芸人の有吉弘行が、アメトークだったかで「ブレイクするっていうのはバカに見つかるっていうことなんですよ」って言ってた、なんていう話を以前どこかのサイトで見たんだけど、言い得て妙というか。

これは分析、ではなくて感覚レベルの話だけど、ブレイクするより前にそのジャンル/サイト/アーティストを見つけてる人って、色んな意味で「濃い」「鋭い」「面白い」人が多い気がする。
「ブレイク前」の何かを見つけるのって結構しんどいもので、情報感度が高いとか、嗅覚がするどいとか、そのジャンルを深く愛しているが故に色々知ってるとか、何かしらの情熱だのセンスだの情報力だのがないとブレイク前のものになんて容易には到達できないわけで。

たとえばWeb界隈だと優秀な人とかすげーって言われるような人って、情報が異様に早いしどれが面白そうか、みたいな嗅覚も鋭い。
最近になってかなり広まってきてるTwitterなんかも、できてすぐくらいの段階で使いはじめてたりする、とか。

たとえばVOCALOID界隈なんかのイラスト見てても、やっぱり初期のほうが「密度」が高かった印象がある、とか。

たとえばちょっと前に見たドキュメンタリー映画「Helvetica」でも、Helveticaという書体の流行の変遷は
  1. 初期:これまでの書体に不満があったり、より新しいものを求めていた感度の高い、センスのよい人に使われて、話題になる
  2. ブレイク後:とりあえずHelvetica使っていればかっこいい、という流れ→Helveticaが印刷物にはん濫
  3. 後期:低品質なものの乱発でさすがに飽きられる
  4. その後しばらくして:再評価
っていう流れだったらしい、とか。

多分他にも似た流れのものは山ほどあるはず。

ブレイク前に集まるのは「濃ゆい人」だからこそ、ブレイク直前くらいの頃って特に濃ゆい、面白い事になりやすいと思う。で、ブレイク後は「ブレイクした事ではじめて知りました」という人が入ってくることになるんだけど、そういう人は初期の「濃ゆい人」に比べるとどうしても「薄い」人が多くなる。ゆえに全体的に薄くなっていく=初期を知ってる人からすると「つまらない」と感じるような状態になってくる。

流行り廃りって言うのはどうしたってこういう流れになるものだと思うし、それはもうなんというか、しょうがないことなんだろうな、と。たぶん、みんなが「最近ここつまらなくなってね?」と思ってる頃には、濃ゆい人達は次の面白いものを見つけているんだろうなー、と。

twitterの次はなんだろなー。

2009年7月8日水曜日

2009年7月8日

http://wiredvision.jp/news/200907/2009070821.html

とりあえず、これほど携帯電話にカメラがついてる日本で、コンデジは死んではいないわけだし。機能なり使い勝手なりなんなりで差別化していけばいいだけだろJK。「終焉」とか煽りすぎ。

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Appleの強みは質の高いものをぐっと絞ったラインナップで提供するところ。
Appleの弱みは質は高いけどぐっと絞ったラインナップでしかものを提供できないところ。

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逃げるが勝ち、とはよく言ったもんだな、と思う。逃げるのも立派な戦略。

2009年7月6日月曜日

2009年7月6日

http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090706/1246835261
http://d.hatena.ne.jp/gamella/20090704/1246641128

少人数って危険ですよね、って最近よく思う。
フリーランスとかで、依頼を受けてやるのは全然問題ないんだけど、自分のアイディアで何かを作る時って、絶対なんか変な先入観にハマったりとか、自分基準の面白さにとらわれたりする。

昔いた職場に、漫画の編集者やってた人がいて、つい最近飲んだんですが。某漫画家がオンラインで漫画直接売るっていう話についてこんなこと言ってた。
「あれはうまくいかないよ。だって編集者いないんだもん」
要するに、他者の目がない状態でモノ作ると、世間のニーズのない変なもの作っちゃったり、ビジネスとして成立しないモノ作ってしまったりするよね、という話。

あと、昔音楽サークルにいた時に、後輩がエレクトロニカ系アーティストについて「ニカ系の人って、一人でやってる人だと、変態的に狂ったモノ作るんですよ。それはそれで面白いんだけど、やっぱり長く聴けるのは二人以上でやってる人のものなんですよねー不思議と」みたいなことを言ってて、それが妙に印象に残ってる。

少人数がいいのって、固定費かからなくていつでもやめられるとか、小回りきくこと。でもそれでできなくなることもたくさんあるし。どんなやり方でも一長一短あるだろうなー、と思う。

っていうか、成功する時は何人いたって成功すると思うんだけどね。そこにセオリーがあるとしたら、もうすでにどの企業もそのカタチになって、どの企業も成功してるはず。

2009年7月5日日曜日

2009年7月5日

biblioのキーボードの発想は面白いなー、と思う。
とりあえずなんでもできるようにしとけっていう、まあ、スマートな発想ではないけど、「どういうものを使いやすいと思うか」っていうのは人それぞれ、かつ、PCみたいに好きなものに勝手に換えるというわけにはいかない携帯電話の場合は、こういうアプローチもアリだよなー、と。

…携帯テンキーな感じで持ったときに、画面表示とボタンの表示位置の関係が直感的でなかったのがちょっともったいなかったけど…

でもwi-fiでezweb見れるとか色々面白い機種なので、値段がこなれてきたら機種変してみたい。

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iPhoneがゲームのプラットホームとしていいところは、画面サイズとか操作方法とか、ハードウェアの基本的なところがきちんと統一されているところ。これはほんとにバカにできない。たとえばゲームボーイが、操作方法もCPU速度も画面のサイズやリフレッシュレートも違うバージョンがあったら、ゲームの企画とかあれこれ考え直さなきゃいけなくなる。同じ条件で遊ぶからゲームとして成立する、そういうゲームもある。

昔携帯Flashでゲーム作ってたときに思ってたけど、機種によって操作方法とか画面サイズとか、入ってるFlashのバージョンとかあれこれ違うと、一番非力なものに合わせたり、それぞれの機種向けにカスタマイズする必要があったりして、かけるコストのわりに一番つまらないカタチに落ち着かざるを得なくなる、そんなことが非常に多かった。

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http://fladdict.net/blog/2009/07/touch-screen-and-rollover.html

ちょうど全く同じ事を昨日考えてた。
biblioを試してた時に思ったんだけど、タッチパネルって、「マウスオーバー」がないので、なんかいまいち自分の操作に自信が持てないというかなんというか。指って「面」で押すのもあって、ちゃんと狙ったところをクリックできる気がしない。
操作する上であると嬉しいフィードバック(ボタンを押した感触とか、マウスが動いててマウスオーバー時に「ここでクリックでOKよ」っていう見た目になるとか)も不足してる。

液晶を若干柔らかくするとかして、圧検知とかのセンサ加えて、「触れる」じゃなくて「押す」がクリック動作になるとか、ペンタブのペンみたく接してなくても近い位置に指があると座標のポインタ表示されるとか、何かもう一歩使う人に優しくできるんじゃないかな、という気がする。

2009年7月3日金曜日

2009年7月3日

STUDIO VOICEが休刊だそうで。
時折ものすごくツボな特集組んでくれる雑誌で、いつも本屋に寄る時はかならず特集の内容をチェックしてました。

雑誌っていいんだよね。情報が適度に限られつつ集まってて。

情報って、一定の分量を超えると情報の元になる側も、情報を受け取る側も不幸になる、そういう分岐点みたいなものがあるように感じてる。たとえば音楽の情報を例にとってみる。ライブがあるとかCD出るとか、アーティストインタビューとか、情報量が増えれば増えるほど嬉しいかと思いきや、情報量が多くなりすぎると、情報の受け手はすぐに限界に達してしまって、取捨選択ができなくなり、最終的に関心を維持できなくなる気がする。そうなってしまうのは、音楽を提供する側にとっても音楽を受け取る側にとっても不幸なことだと思う。

雑誌って、紙のコストとか、顧客が支払える金額とかいった制限があるので、ページ数や情報量は必然的にある程度のところで限られる。限られた中に、できるだけたくさんの読者が喜んでお金を払ってくれるだけの情報を掲載しようとするので、濃度、密度みたいなものを必死に高めないといけなくなる。そうしないと媒体としての価値が上がらない。そういう「圧力」が自然とかかる。結果、非常にいい密度と情報のサイズにまとまりやすいと思う。

一方インターネットって、無尽蔵に情報をアーカイブできるし、発信のコストも低いし、ページという制限もない。だから、いくらでも情報を出したいときに出せる。速報性とか色んなメリットもあるけど、情報量が増えすぎたり、密度が薄まったりして、簡単に情報量が受け手の許容量を超えて爆発しやすいというデメリットも大きいと感じる。

願わくは休刊廃刊になった雑誌等の編集者の技能、才覚が、Webで発揮できるような未来があらんことを。
情報発信の手段としてBlogがまず筆頭に出る、そういう状況は、個人的には正直そろそろ終わりにしたい。

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GmailでGoogleが「消さずにアーカイブ。後で検索でおk」って言ってたけど、その通りにすると検索時にノイズがひどくて使い物にならない、っていうね。後で参照することのない、要らない情報はさっさと消すに限る。

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なんて言ったらいいのか、Blogが出てきたときに「あー、日記ね」っていうふうにとらえたのって、ものすごく的確なとらえ方だったんじゃないかな、ということを今日ふと思った。
日本の場合、2ちゃんねるとか古くはniftyフォーラムとか(見た事ないけど)、「議論する」みたいな事をする場所ってわりとちゃんとあるんだよね。かつ民族性、的なところで「俺が言った」ということを主張したりするのを好むわけでもない。

としたら、個人単位で時系列で何かが書けるという枠組みを提供されたら、それは日記として使うのが一番しっくりくる。んで、日記なんてそんな他人の日常見て面白い事なってそうそうなくて、近しい人の日記見せ合いたければSNSのほうが枠組みとしては適切。

Blogというフォーマットでコンテンツとして成立するのは、せいぜい有名人が書く日記くらいだな、と思ったら有名人ブログは確かに人気になっている。Amebaの目の付け所はさすがとしか言いようがない。

なんだかんだで日本のWebは独特な最先端を突っ走っている。
っていうどうでもいい日記。
を書くには確かに本当にBlogって便利だなー。

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http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000003072009

あー、なんかちょっと色々誤解してた部分がすっきりした。

つまり、コンテンツの「価値」がなくなる、っていうことじゃなくて、競争原理に乗っかったら「価格」の下限がゼロになるぞ、ってことね。
旧来のメディアでは製造原価とか流通コスト等があって価格は「ゼロ」にまで下がることはよほどの事がない限りなかったけど、ネット上では流通コストもないので激しい競争に晒されればどんどん「価格」はゼロに近づいて行かざるを得ないし、実際ゼロになることもある。

だから戦略としては、価格で競争しなくちゃいけなくなるような競争の激しいところに行かないこととか、価格ゼロのものをうまく広報等に活用して別の何かで収益をあげるとか、「ゼロになりうる」ことを視野に入れて考えなきゃいかんぜよ、と。

2009年7月2日木曜日

2009年7月2日

前にもちらっと書いたけど、iPhoneアプリ市場って、なんというか同人市場とノリとかすごく似てる気がする。

-妙に手間暇かかってそうなコンテンツなのに、"アマチュア価格"なので安かったり
-どう見ても身銭を切ってるけど趣味だからOK、だったり
-たまにプロ的にそれで食べてる人がいたり
-たまに企業出展者がいて、その場ではある程度稼いでたり
-結局その界隈での知名度とかが売り上げに直結してる部分があったりなかったり

同人の面白さっていうと、好きなものが近い人とのつながりとか、作ったものに対するレスポンスとかファン?との交流とか、あとは元コンテンツに対する愛とか…?

「アプリ」でそのテのものってなかなか発生しにくいけど、プラットホーム側であえてそういう要素を入れ込んだりしたら……ほとんどの人は稼げなくてビジネスとしてはアレかも知れないけど、楽しくはなるかもしれないよなー、とか。いや知らんけど。