なんとなく思い出したのはナガオカケンメイさんのこのエントリの一節なのだけど。
若者の免許離れは、決して「食べていけないくらいの生活苦」だからという理由だけではない。 僕らの時代も生活は苦しかったけれど、 考えられないローンを組んで服や車をローンで買ったりした。 1週間なにも食べられなくなるとわかっていても、 ローランドのシンセが欲しくてローンで買ったりしたもの。
今、終身雇用が壊れて、景気もなかなか上向かない今は、たとえば1年後の給料が、今より多くなっている「予感」もなければ、むしろ減っている可能性まで考えなくてはいけない。将来に対して楽観的でいられない、そういう時代だとなんとなく感じている。
そんな時代に、身の丈に合わないものは買えないし、支払う金額に見合う実質的な価値のないものにお金は払えない。借金をして何かを買うというのは、単に不安を増やす行為でしかない。ブランドだとかステータスだとか、そういう得体の知れないものにお金を払うことなどとてもできないし、モノに夢を見るなんていうこともない。
こういう状況に置かれてしまうと、自然と消費すること、モノの「価値」に敏感になる。果たしてこれは本当に自分を幸せにするものなのか。車を持つのが普通というけど、車をもつことで得られる利得はどれほどのもので、それは支払う金額に見合う内容なのか。高価なブランドものの服を買って着る価値はあるのか。ユニクロでいいんじゃないか。いや、むしろユニクロ「が」いいんじゃないか。
そしてこの考え方は、同時に自分のやることの価値や意味、という方向にもフィードバックを返してくる。果たして自分の仕事は意味があるのか。どれくらい価値があるのか。誰にとって嬉しいのか。
公務員だとか主婦だとかいった選択肢に透けて見えるのは、「安心」「安全」だし、NPOみたいな選択肢には「承認」とか「誰かの役に立っている実感がほしい」。これはつまり、裏返せばその部分が満たされていない、という思いを多くの人が抱いている、ということなのかもしれない。
そんなこんなで、自分としては価値観がより洗練されていくこの状況に対してはポジティブな見方はできるのだけど、同時にそれほどまでに不安感を抱えてしまっているかもしれない点は、そこまでポジティブに見てはいない。
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ボランティアだったりNPOだったりといった考え方は個人的には好まない。
Webサービスの現場にいた時に強く思ったことなのだけど、何かのサービスを提供している時に一番避けるべきなのは「そのサービスを止めること」だと思う。
だからこそ、サービスを提供する者は、収益化することに常に真剣に挑んだほうがいい。
奉仕活動だって、それをきちんとサービス化して収益化できれば、活動をより長く安定的に続けることができるし、より多くの人を喜ばせることができる。
個人で気まぐれにボランティアで何かをするよりも、それを何らかの形で事業化して大きくするほうが生み出せる幸福の総量はぐっと大きくなる。
それを目指さずに、収益化もせずにただ一時的にサービスを提供することは単なる自己満足以外の何者でもないと思うし、だからこそきっちりと収益化やお金にする部分を意識したほうがいいし、なによりそのほうが面白い。