2011年7月31日日曜日

2011年7月31日

http://d.hatena.ne.jp/kkbt2/20110727/1311778597

なんとなく思い出したのはナガオカケンメイさんのこのエントリの一節なのだけど。

若者の免許離れは、決して「食べていけないくらいの生活苦」だからという理由だけではない。僕らの時代も生活は苦しかったけれど、考えられないローンを組んで服や車をローンで買ったりした。1週間なにも食べられなくなるとわかっていても、ローランドのシンセが欲しくてローンで買ったりしたもの。

バブル時代のような時期は、自分の身の丈よりも少し高いものを、多少借金などして手に入れても、収入などの伸びがそれをカバーできる可能性めいたものがみえていたのではないかと思う。全てが楽観的であり、だからこそ、「今」借金してでも、何かを感じさせてくれる高価なモノを買うという選択肢があり得たし、そこに幸福感もあった。

今、終身雇用が壊れて、景気もなかなか上向かない今は、たとえば1年後の給料が、今より多くなっている「予感」もなければ、むしろ減っている可能性まで考えなくてはいけない。将来に対して楽観的でいられない、そういう時代だとなんとなく感じている。

そんな時代に、身の丈に合わないものは買えないし、支払う金額に見合う実質的な価値のないものにお金は払えない。借金をして何かを買うというのは、単に不安を増やす行為でしかない。ブランドだとかステータスだとか、そういう得体の知れないものにお金を払うことなどとてもできないし、モノに夢を見るなんていうこともない。

こういう状況に置かれてしまうと、自然と消費すること、モノの「価値」に敏感になる。果たしてこれは本当に自分を幸せにするものなのか。車を持つのが普通というけど、車をもつことで得られる利得はどれほどのもので、それは支払う金額に見合う内容なのか。高価なブランドものの服を買って着る価値はあるのか。ユニクロでいいんじゃないか。いや、むしろユニクロ「が」いいんじゃないか。

そしてこの考え方は、同時に自分のやることの価値や意味、という方向にもフィードバックを返してくる。果たして自分の仕事は意味があるのか。どれくらい価値があるのか。誰にとって嬉しいのか。

公務員だとか主婦だとかいった選択肢に透けて見えるのは、「安心」「安全」だし、NPOみたいな選択肢には「承認」とか「誰かの役に立っている実感がほしい」。これはつまり、裏返せばその部分が満たされていない、という思いを多くの人が抱いている、ということなのかもしれない。

そんなこんなで、自分としては価値観がより洗練されていくこの状況に対してはポジティブな見方はできるのだけど、同時にそれほどまでに不安感を抱えてしまっているかもしれない点は、そこまでポジティブに見てはいない。

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ボランティアだったりNPOだったりといった考え方は個人的には好まない。

Webサービスの現場にいた時に強く思ったことなのだけど、何かのサービスを提供している時に一番避けるべきなのは「そのサービスを止めること」だと思う。
だからこそ、サービスを提供する者は、収益化することに常に真剣に挑んだほうがいい。

奉仕活動だって、それをきちんとサービス化して収益化できれば、活動をより長く安定的に続けることができるし、より多くの人を喜ばせることができる。
個人で気まぐれにボランティアで何かをするよりも、それを何らかの形で事業化して大きくするほうが生み出せる幸福の総量はぐっと大きくなる。

それを目指さずに、収益化もせずにただ一時的にサービスを提供することは単なる自己満足以外の何者でもないと思うし、だからこそきっちりと収益化やお金にする部分を意識したほうがいいし、なによりそのほうが面白い。

2011年7月30日

http://satoshi.blogs.com/life/2011/07/shinto.html

こういうネタに対しては敢えて反対の立場で書くのを信条としているのでそういう立場で書く。

・「今、国を動かしているのが官僚」なら、政治家はほっといて官僚がもっと優れた仕事をできるようにするように何かを変えたほうが効率がよいのではないか。官僚の活動に民意が反映されざるをえない仕組みを作ることはできないのか? 少なくとも東大出てるような頭のよさそうな人がたくさんいそうなわけだし。


・「民意を反映した政策」とういのが優れた政策であるとは思えないのだがどうか。たとえばインターネット上での集合知は、母数が大きくなっていくにつれて衆愚の様相を呈してきた例がこれまでにいくつかあるし、過程に多くの人が関わったプロダクトは無難ではあるが優れたものにならない、という話はモノ作りの現場でよくあることのように思える。

同じように、「投票」による政策の決定というのもあまりいい結果を導き出さないのではないかと思う。各問題や政策に対して一般の人が十分な知識を持っているとは考えられないし、容易くメディアの情報に踊らされて妙な判断を下す人も未だ多い。懸案事項を十分に理解して優れた策を選び出せる可能性がどれほどあるかが疑問。

また、こと政治に関しては、現状で平均的な人はあまり強い関心を持ってない。そうするとその「新党」周辺に集まってくるのはいわゆるプロ市民みたいな人であったり、政治に一言言いたい種類の人が多くなり、母集団としてかなり偏った集団になりそう。そこで投票などしようものなら、相当なバイアスがかかって、世間一般の感覚からはズレた案、政策が主流になる可能性がある。

といった事を打開する上で、たとえば政策の背景にあるものを公平に解説するメディア的なものを持ち、十分な説明や解釈がなされ、議論がなされればいいかもしれないけど、それをひととおりきちんと咀嚼して判断できる、知性的にも時間的にも余裕のある人というのは世間でも少ない。特に忙しく働く若い人がそんなことに参加できる余裕があるとも思えないし、そうすると結局民意ではなくて一部の富裕インテリ層の時間のある老人による判断になるかもしれない。いずれにしても何かしらのバイアスが強くかかりやすい。

というか、ここまで書いて思ったのだけど、Webで政策に対して投票するのと、政治家に対して投票するのには意義としてもやってる事としても大きな違いもないし、それをする時間的コスト等々に対するメリットがどれほどあるのか、というのも大きな疑問。

また、メルマガの収益による当選順位というのもあるけど、その数字はおそらく人気取りの上手い下手のようなもので簡単に変動する。ちょっとテレビに出て知名度があるとかそれくらいのことで変動するような数字をベースにするべきでない。ので、きちんと出している政策の価値などで判断するべきだけど、それを判断するのを一般民衆でできるとも思えないし、いずれにしてもあまりいい形に収束するとは思えない。

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っていうか、根本的に党の仕組みがどうとかそういう問題じゃないと思うのですね。

こんな仕組みでないと民意を汲みとっていい政策が出せない、いい政策を実行に移せないような政治家が政治をやっているかもしれなくて、実際うまく動いてない、ということが最大の問題で。

政治家がちゃんと民意というものを考えて、ビジョンを示して、実行していればいいだけだし、そういう政治家の存在を明らかにして、そういう人に自分たちが投票して支えればいいだけの話で。

まず知りたいのはそれができないのが何故か、っていう話で、その原因を根治しない限り、政党の仕組み程度を変えたくらいではほとんど意味はなさそう。

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とにかく今の政治の現場には、才ある人が集まる理由がまったくない。どう考えたって政治家というのはこの国では確実に損な役回りだし、頑張っても褒められもせず、ちょっと失言の一つでもすれば叩かれるようなところにわざわざ出て行くとか正気の沙汰とも思えないし。カンのいい本当に優れた人だったら政治よりもビジネスの世界を志向して、そこで利益や地位や名誉を得ることを目指すだろうし。

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ちなみにこういう仕組みの政党、自分も前に考えていたことがあるのだけど、
自分の考えていたものの場合は完全に「政治に目を向けさせる」ことしか志向してなくて、政治家はネットの操り人形として存在していて(どこぞのニートでも誰でもいい)、政策はみんなであーだこーだと考えて、2ちゃんねるあたりでこの政治家をどう操るかの安価スレが立つような、そういうものとして考えていた。
政治を遊び場にして荒らして、かませ犬、スパイス的な立場で政治の世界に刺激を与え、エンタメ化して人々の目を向けさせる。そうしているうちに、次第に政治の理解が深まって、本当にちゃんとした政策を出すように変化していくのを狙う、という。