2010年5月21日金曜日

2010年5月21日

Appleは編集者がいて品質管理がんばる、オーディションありのネットレーベル
Googleは検閲もろくにせずに投稿された曲をほいほい載せるCGM的音楽サイト

みたいなイメージがふと浮かんだ。

品質管理がんばる型だと、顧客満足度的な意味で言えば当然色々質は高いし満足度は高い。ただ、編集者の限界がその場全体の限界になるので、編集者が激烈に優秀でセンスに優れている必要がありそう。そこがブレたりダメになると全体が一瞬で落ち込む危険性もある。

CGM的方向だと、粗悪なものもたくさんあってひどい状態になって、大抵は満足度としては低くなる。ただ、限界がないので突然変異的にすばらしいものが生まれる可能性がある。

自分はなんだかんだでやっぱり後者のほうが好きなんだよなー、と。玉石混淆のひどい混沌の中から何かが生まれるような、そういう場がやっぱり好きだ。

2010年5月20日木曜日

2010年5月20日

http://jp.techcrunch.com/archives/20100519chrome-os-versus-android/

このところ考えていること。

今のインフラではまだ無理だけど、たとえばネットワークの速度やサーバの処理速度などが激烈に高速になって、ストレージのコストが激烈に下がり、使えるストレージ容量が限りなく無限大に近づく、そんな未来を想像してみる。

…と、今のPC、今のネイティブアプリケーションの不自由さ、不便さが際立ってくる。

アプリケーションも環境設定もデータもリモートで一元管理されたほうが何かと都合がいい。
マシンが変わるごとにアプリケーションの環境設定を設定しなおすとか、他人のマシンを借りた時に使い慣れない環境で苦労するとか、そういうのは本当に無駄な、本当にいらない手間だと思う。


アプリケーションはいちいちインストールしたりアップデートしたりする手間などない方がいい。何もしなくても起動できて、自動で最新版になってくれたほうがいい。使っているうちに不具合が出て再インストールで環境設定をやり直すとかなんて馬鹿げた手間だろう。

自分の所有するファイルは自分がどこにいても、どんな場所でどんな端末からでも見られるほうがいい。ファイルの共有だって、ファイルを物理的な媒体などを経由して複製を渡すよりも、ファイルのURLみたいな位置とアクセス権限を渡して済むなら便利だろう。いちいち圧縮してメールに添付するとか、ディスクに焼くとか、USBメモリにコピーするとか馬鹿げている。一つのファイルに対して共同作業するならば、リモートにしかファイルがない形ならばバージョン管理も簡単かもしれない。ファイルのバックアップもリモートで勝手にやってくれれば、いちいち手元で別のハードディスクにコピーするとか、RAIDみたいなシステムをがんばって組むとかする必要もない。

コンテンツは「所有」するより「アクセス権」で管理する方がスマートだ。だってまったく同じファイルなのに世界中の100万人のハードディスクでそれぞれ10MBずつも占有しているなんてなんかひどく無駄なことだと思う。必要な時に必要なものを読み出して楽しめればいい。DLして手元に置いておかないと自分のものじゃないからアクセスできないって、それってなんてリスキーで楽しくないことだろう。HDDがクラッシュしてファイルをなくしてしまうかもしれないし、音楽を聴きたい時に限って手元のマシンにその曲が入ってないかもしれない。

というか、そもそも何かを所有するというのは不自由なことだ。十万円も払ってPCを所有してもそれはすぐに陳腐化する。何かを所有するよりも必要なものを必要な時に必要なだけ借りる形のほうがリスクも低くスマートだ。

「シンクライアント」っていうのが結構前から言われてるけど、現時点で自分の貧困な想像力で想像できる未来の中ではそっちの方向がやっぱり一番合理的でスマートな未来、という気がする。手元の端末は単なるViewでありUIであり、実体はリモートにあってこみ入った処理はサーバサイドで行われ、成果物は全てリモートに蓄積される。そういう形。

そうなれば、多分人は「PCの置いてある場所」という制約や、PCのメンテナンスにかかるコストや、何か色々なものから自由になれる気がする。


とりあえずブラウザで動くアプリケーションっていうのがそういう未来の一端をちらりと見せてくれている気がしていて、GoogleがChrome OSなどでそういうものを推し進めようとしている事にはなにげに結構共感している、ような気がする。いやわからない。

2010年5月18日火曜日

2010年5月18日

softbankの社長が光の道構想にやる気というのを見て、
twitterで誰かが「でも未来はどう考えても無線のほうだよな」と言ってるのを見てふと思った。

あれって、実は無線接続環境を構築するための下準備なんじゃなかろうかと。
たとえば国内の全家庭に光ファイバー網が整備されたとする。で、たとえばそこに貸し出しモデムとしてFONみたいな機能を含んだルータを貸し出す。

するとどういうことでしょう。あっという間に国内に高速公衆無線LAN網が完成する。そうしたらもうなんか無線の帯域がどうとかどうでもよくなるかもしれない。無線LAN経由でIPフォンっていうサービスも作れるかもしれないし。

どのみち無線接続環境を作るにしても、どこかからは有線になる。そこで高速でキャパのでかい光回線が国内どこにでも張り巡らされていたら、接続スポットの設置も容易。これは確かに投資の価値はあるかもしれない。

2010年5月12日水曜日

2010年5月12日

たとえばtwitterやmixiなどでお互いの素性や嗜好なんかを知った状態で初対面、という場合、服装だったりお化粧だったりをばっちりにするとかそういうことをする価値はさほど大きくない。というか、どれだけ飾り立てたところで、すでに内面を知っているのだから飾りの部分でどれだけ背伸びしても見透かされてしまう。

もしお互いにお互いの素性を知らない同士で、互いに必死にスクリーニングするような場面でなら、外見にこだわる価値はあるのだけど。

マスな時代っていうのは、多分そういう「互いに知らない同士」な状態だったんだと思う。互いに素性を知らない同士で「売りたい」「買いたい」が交錯する場だからこそ、イメージ戦略とかに意味があったんじゃないか。

こうしてインターネットを通じてある程度互いの顔が見えるようになってくると、どれだけ企業イメージだのなんだのを高めたところで見透かされてしまう。

どれだけソフトバンクが必死に企業イメージを高めようと広報戦略を打つよりも、トップがtwitterで「やりましょう」と言うほうが全然説得力があるし、信頼感も増す。

商売っていうのはもともとお客さんが目の前にいて、その人をどうやって喜ばせることを考えていたものだったはず。それがマスの時代に互いの顔をちゃんと見ずに商売が成り立つようになった。今やっとそれが元の形に戻りつつある。そんな気がする。

マスの時代みたいなバカみたいに大きな売り上げはあがらなくなっていくのかもしれない。でも、それぞれがそれぞれ身の丈にあった、人を喜ばせるモノが作られやすいいい時代になっていくんじゃないかな。そんな気がする。

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てか、ファッションの根本的な価値ってなんなんだろうね。
自分をかっこよく/かわいく見せる、とかだとしたら、極論もうそんなものはいらなくなるんじゃないかという気もするんだけど。

2010年5月11日火曜日

2010年5月11日

http://www.businesswire.com/portal/site/home/permalink/?ndmViewId=news_view&newsId=20100510005773&newsLang=en

Androidが数の面ではiPhoneを上回る。まあ単純に考えて出る端末の種類と数が全然違うから当然といえば当然の流れ。

多分、AndroidとiPhoneはMacOSとWindowsみたいな関係になっていくのかな。
iPhoneのほうが端末の種類が少なくAppleが完全にコントロールしているので、アプリ等の質は高く維持される。でも将来的には本当に欲しい機能は有償化されていったりとかもあり得る。
Androidは端末の種類も多くてOSのバージョンも無茶苦茶で、数は多いけどアプリ作りはちょっと面倒で質もまちまち。使う人が多いからカスタマイズするためのフリーウェアなんかもどんどん出るけど数が多くてカオスで、情報をしっかり収集していけば無償に近い金額で思い通りにできる、みたいな。