2014年10月13日月曜日

2014年10月13日

ネット生活を幸せにする宗教 Virtual Religion
http://ja.virtual-religion.org/

面白いなーと思ったのだけど、

「ネット生活を幸せにする宗教 Virtual Religion」の違和感
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20141004/1412422604

こちらと近いところで違和感を感じた。

自分なりの理解として、宗教というのは「不安・不幸をいかにして軽減するか」というのが最も重要な役割だと思っている。

たとえば何か苦しい思いをしている時、そこに「それは神の与えたもうた試練である」という解釈を足すだけで少しは頑張る気力が生まれる。

各種災害だったり、ロクでもない親の元に生まれてしまうとか、病気になるとか、誰だって「なぜ俺ばっかり」的な不幸な目にあうことはあり、さらに言えば「なぜ、なんのために自分は存在するか」みたいなことだってある種の不安だ。
そこで、それを「神の与えた試練である」「前世で悪いことした」「あなたは神がお作りになられたのだ」のように解釈を与えることで、不安や不幸だというネガティブな感情を軽減・解消する。

そういう「不安を低減/除去するためのロジック」を核として、そこにそのロジックに矛盾しないように注意しつつ「不幸な目にあうことを減らす」意味で戒律などを足す、という感じで積み上げたものが宗教だと勝手に理解している。

といったわけで、Virtual Religionにはその「不安を低減/除去するためのロジック」が不足しているため、それを「宗教」と呼ぶのはどうも違和感がある。

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…そいえばだいぶ前に、現代の世情に合うエセ宗教作ってみたかったんだったなぁ、というのを思い出した。タスクに積んどこ。

2014年10月2日木曜日

2014年10月2日

LDRが終わるそうなのでひとまずFeedlyを使ってみている。ちょっと余白が多すぎるのでCSS書こうかどうしようか悩むところ。

イマドキRSSとかRSSリーダーとか古い、みたいな発想もあるのだろうけど、たとえばSmartNewsとかまとめサイト的なものとか、ああいうものを自分のニュースソースとする場合、話題や世論を札束で作る人たちに対して非常に脆弱になる懸念があって非常に怖い。

自分の情報ソースは自分できちんと選別したいし、RSSリーダーに登録したフィードは自分の今向いている関心を適切に表現するという意味でも価値がある。

RSSやRSSリーダー的なものがこの先も滅びず、さらなる進化を遂げることを心より祈る。