2014年7月15日火曜日

2014年7月15日

コンテンツを最適化すると多様性は死ぬのか?
http://fladdict.net/blog/2014/07/death-of-diversity.html

この小説サイトがまださほどメジャーじゃなかった頃、どういうランキングだったか知らないのでなんとも言えない部分もあるのだけど、だいたいこういうのって、「コンテンツを最適化した結果」というよりは、見に来てる人の種類が変化した結果なのではないかなと。

ランキングというのはその場にいる人のうちの多数派の嗜好が反映されるものだから、利用者がマスにシフトすると、マスの持ってる価値観が正義になる。

マス的な価値観って、あまり振れ幅の大きい多様性を求めなくて、自分の知ってるものだったり、すでに好きなもの、世間的に価値ありと認められているもの+αくらいの領域が一番ハマる。

なので、マス的ないわゆる「普通の人」が増えると、その価値観によってCGMが染まって、閲覧数とかの数字は増えるがランキング上位に入るようなものの多様性は減る。
で、そういうものがランキング上位を占めた結果、数字を稼ぐために、そこに最適化されたコンテンツを狙って作る人も増えるし、流行ってるもの/ウケているものに憧れて参入してくる層も増えてくる。さらに、マイナー層のトガッた人はその状況がつまらなく感じて離れていくのでますます価値観が狭いところに収束しやすい。

ちょうどボカロ界隈が初期の多様性に富んだところから、若い/普通のリスナーが増えたあたりからロック寄りな方面が主流になってランキング上位に似たような曲増えた、みたいに、こういうことは創作系の分野(に限らずかもしれないけど)のランキングではよく起こる。

だから、「普通の人」が多く集まれば集まるほど、ランキングは(特にちょっととんがった人にとっては)大抵つまらなくなっていくし、そうなった場はコミュニティとしては(人が増えたという意味で)成功だし、そこで商売する人にとっては美味しいが、CGMとしては次の新しいムーブメントを生み出せなくなっている可能性が高く、トガった人はすでに離れて別の場を開拓し始めている可能性が高い。