2013年9月10日火曜日

2013年9月10日

Webにここまで情報が乱雑に大量にあると、それをもっともらしく編集し(まとめ)て人をミスリードしたりダマしたりするのも容易だなぁと思うわけで。

もちろん読み手が賢くなって自衛すればいいといえばいいのだけど、それができるのはやっぱりある程度賢い人じゃなきゃ無理で。

Webにアクセスするのが当たり前になって、誰もが当たり前に触れる情報源になっている今、そういう「賢さ」をアテにするような仕組みは全然スマートじゃないと思うし。

各Webページの「信頼性」「質」みたいなものを誰もが正確に把握できるようになるか、あるいは信頼性の低いページが目に入らないようにするような何かいい方法はないものか、ともやっと思いつつ、

しかしそもそもその信頼性とか質というのは一体なんなんだろう、という点でまたもやっとしている、そんなもやっとした午後。

---------

三人寄れば文殊の知恵というけど、賢い人が三人寄って出てくる知恵と普通の人が三人寄って出てくる知恵ではやっぱり出てくる知恵が違うと思うし、
群衆の叡智とかいうやつは、優れた叡智を持った人間の割合の多い群集のほうが、確率論的には優れた叡智が生まれやすいのだろう。

---------

情報発信のハードルの高さはある程度必要かもしらんね。

2013年9月9日月曜日

2013年9月9日

物事を悲観的に捉えることは意義のあることではあるのだけど、悲観によって得た気付きを契機に改善を生み出さないならそんな悲観には意味がない。「仕方ない」に抗う気持を忘れてしまってはよいデザインやよい企画なんていうものは生まれないし、愚痴るヒマがあるなら手と頭を働かせて何か一つでもアウトプットするのが正解だ。

改善というのは常識だとか惰性だとか色んな物に抗うことであって知恵もエネルギーもたくさんいる。だからこそそれを押し通し実現できる人間というのはカッコイイ。