2015年12月6日日曜日

2015年12月6日

複数のRESTなAPIを作って組み合わせてサイトを走らせる仕組み、どうしてもAPIアクセスが増えるし非同期処理も多くなりがち。

react的なものを前提にすると、遷移したURLをベースにして一回のアクセスで必要なデータをまるっとまとめてJSONなどにして渡す仕組み作るの、isomorphic的な意味でも面白そう。単にdjangoのMVTのTのところをクライアントサイドでやらせる感じの仕組みというか。

で、遷移前のURLをパラメータとして渡すことで、データの差分のみ取得できればパフォマンス的にも悪くなさそう。ちと試してみよう

2015年6月29日月曜日

2015年6月29日

https://html5experts.jp/shumpei-shiraishi/15147

「Webは死ぬか」とか、状況を読んで環境に対して受け身で適応しようとするような話はあまり聞きたくない。

Webは活かすべきか、殺すべきか、ということを考えたい。情報共有の手段、場としてWebはどうなのか、Webじゃないとしたなら一体どういうものが理想的なのか。そういうことを考えたいし、いつも考えている。

情報共有の場がブラウザではなくアプリに移っているのは飽くまでiOSやAndroid、現代の技術やビジネスその他の都合によるものであり、そうあるのがよいからそうなっているわけではない。

個人的にはアプリが中心になる今の状況というのは「ひどい」と思うし、OS/端末を選択した瞬間にアクセスできる情報、受けられるサービスに格差が生まれる。そんな環境を未来に遺したくない。どのようなUA、どのようなOS、どのような端末を選んだ人間も、ネットワークにさえつながれば等しく良質な情報・サービスにアクセスできる環境を作りたいし、のこしたいと思う。

2015年4月29日水曜日

2015年4月29日

Apple watch的なデバイスの挙動/体験としてどういうのがよいかというのを考えていた。

watch部分で文字入力させるのは体験として最悪だと思うので、文字などの入力は前提としない。watchの役目としては主には通知。

で、watchに届いた通知に対して、何かしら「リアクションが必要だ」と思ったものについては「リアクションする」意味の操作を行う。(操作としては素早く拳を二回握りこむ時の腕の動き、みたいな、時計のついた側の腕の変化だけでどうにかできるのがよい)

「リアクションしたほうがよい」と思ったものは母艦となるiPhoneなど親機にスタックされる。同時に、そのリアクションに必要なアプリ等についてはリアクションしやすい状態で自動でスタンバイされる。

その後、母艦が操作できる状況になった時に、たまった「リアクションしたほうがよいもの」が順に表示され、順に処理していく。

みたいに、通知→スタック→まとめて処理、のサイクルが作れるならば、通知デバイスとして少しは役に立つかな。

まあ自分はリアルタイムに通知の来るものが根本的に好ましく思っていないのでいらんけど。

ってか、そういう「後でやるからスタックしとく」的なもの、OSレベルで対応すると結構便利かもしれない。

2015年4月24日金曜日

2015年4月24日

未来のスマートフォン、みたいな事を書いている記事をふと見て、
いや、スマートフォンの未来はスマートフォンを持たないでよくなることだろう、とツッコむ。

目の前にあるものを消すには、排除するにはどうしたらいいか、を考えると結構未来が見える。
これからの時代はだんだん目の前からモノが消えていく(同機能のものが小さくなっていったり、別のもっと見えない何かに代替されたり)のだろうなーとなんとなく思っている。

2015年4月8日水曜日

2015年4月8日

http://fladdict.net/blog/2015/04/applewatch.html

そもそも自分は腕時計を中学生くらいのころから身につけておらず、あんなつけはずしのめんどくさいものを出かけるたびにつけるとか何かの修行なの、と思っている種類の人間なので、根本的に腕時計型デバイスには全く興味がわかない。

とりあえず今一番ほしいものはkindle書籍が気持よく読めるクラスの解像度が出せるメガネ型ディスプレイ(でもなんでもいいのだけど、電車内などで手を使わずに閲覧可能なもの)とそれに合う入力方法及びOSだなーと思う今日このごろ。

2015年4月5日日曜日

2015年4月5日

たとえば2chまとめサイトを人工知能が作ることができるかどうか、というのを考えてみると、これはなかなか難しそうだ。
文字情報から意味を取り、明示/暗示されたコンテクストを結びつけ、面白い書き込みを「面白い」と判断し、ピックアップして編集する、といったことがどうやったら可能なのかうまく想像できない。

ユーモアを理解して笑ったり、いい話に感動して泣くコンピュータを作ることができたら世界は変わるのだろう。

それができるまでは、情報に感情に関わるメタデータを付与するのは人間にしかできず、コンピュータはそのメタデータを収集することで分析することしかできない……のかどうなんだろうね。

2015年3月12日木曜日

2015年3月12日

LiveDowangoReaderでRSSをだらだら読みながら、
あー、このRSSリーダーが作られたあたりの頃以降、
ユーザインターフェースにおけるユーザ体験的な意味で新鮮味のあるサイトってそういえばあまり見た記憶がないなぁと、そんなことをぼんやり考えていた。
タッチパネル時代になって、マウスの動きで何かを演出する手法も廃れた今になって、
やたら無駄に動いてたFlashサイトなどがちょっと懐かしく感じたりもする。
まあ、マウスやキーボード、タッチパネルといった「入力の方法」が大きく変化でもしない限り、UI設計の根本的な設計が強烈に変化することはなさそうで、そんな現状にちょっと飽きてきているのは確か、かもしれない。

2015年2月27日金曜日

2015年2月27日

http://jp.techcrunch.com/2015/02/27/20150226google-makes-mobile-friendliness-a-ranking-signal-worldwide-boosts-indexed-apps-in-search-results/

Flashサイトみたいな「情報そのものが閲覧できない」サイトを除外するのは正しいと思うのだけど、
情報の質の良し悪しとモバイルフレンドリー対応の有無には相関はない(多分)と思うし、
そんなものに対応するヒマとコストがあるならコンテンツの質を高めるほうに使え、とコンテンツを提供する側に対しては思うし、
っていうか君らブラウザ作ってるんだから、モバイルフレンドリーにするのはブラウザのほうでフレンドリー表示モードでもなんでも作ってがんばればいいじゃない、とGoogleに対しては思うし、


…っていうか、検索エンジンがコンテンツの作りかたに対して影響力/発言力を持ってる状況っていうのが根本的に何か間違っている気がするのでそろそろGoogleはポイズン

2015年2月23日月曜日

2015年2月23日

最近個人的になんだか物理学が面白いので色々なサイトを漁っているのだけど、しっかりとしたボリュームでまとまった情報でみつかるのが古いサイトばかりなのだよね。
それ以降の時代のものは、ブログで書かれたものはまとまりが弱くてうまく掘り進められない、あるいはブログサービスの終了などで消えていたりする。
Wikipediaはまとまってはいるけど正しさを重視するあまり個人サイトにあるような「俺はこう思うんだ」的なものがなくて面白みがない。

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なんというか、Webが「検索キーワード」に最適化されすぎてる感じがする
Wikipedia的すぎるというかなんというか。
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長文を書いて、時間をかけてじっくり議論する、みたいなことって今のWebでどうしたら成立するだろう。
かつてはトラックバックという形でやりとりするっていうのがあったけど。
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なんかちょっとだけ昔のWebに回帰したい、的な欲があって、ああ年取ったなぁとしみじみと思う。「昔はよかった」なんて死んでも言いたくはないんだけどなぁ…。
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とりあえずここ数年ずっと考えてる、「ストック的に整理された静的なWebサイトを作りやすくする」って事をもうちょっと個人的に進めたい感出てきてる。

2015年1月27日火曜日

2015年1月27日

出会い、的な観点からいくと、facebookやLINEは完全なpost出会いツール(知り合ってから繋がって関係を維持する場)で、twitterもそうなりつつあり、SNSと呼ばれるサイトはだいたいそういう感じになりつつあり。
「興味のあることをする中で人と繋がっていく」的な、pre出会いの場っていうのは今のWeb上だとどこだろうなぁ、ということをぼんやりと考える。

2015年1月17日土曜日

2015年1月16日

http://f-shin.net/fsgarage/2691

なんだかすごい違和感を感じるんだけどいまいちうまく言語化できずにいる。

ひとまずwarezなどの世界は公知になったから死んだのではなくて、ブロードバンドの普及だとかP2Pソフトなどの台頭によって完全に不要になったから死んだだけだと思う。

アングラ的なものが陽の目を浴びて普通の人がやってきて潰されるなんていうのは今も昔もネットがあろうがなかろうが起こってきたことで、その時間的な流れがネットの普及により多少早くなったりはあるかもしれないが危惧を抱くような事象ではない。

心配しなくてもアングラ的なものに居心地のよさ、楽しさを感じる人はそういうことが起こる頃にはその場を撤退して次の面白いもの・場を探すか作るかしている。そういう例をいくつも見てきている。

個人的には「多くの人がネットリテラシーを持ち、共有すべき情報を選別し、いらん情報はグローバルなネットに出さないというのが望ましい方向であり正論」だなんてことは全く思わない。

自分は多様性こそが正義であり、メインストリームからアンダーグラウンドまで、良質な情報が誰でも触れられる場所にあり適切な人のもとに届く、そういうWebを志向しているので、それを阻害するなら良識なんてものはクソクラエだと思うし、ただひたすら問うのは公開される情報の「クオリティ」だけです。

ここ数年についていうと、Webに公開される情報は、情報のアウトプット場所が適切じゃなかったり、情報の量や質が不足しているものの割合が大きく、騒動になるもの含めて全体的にただただクオリティ低杉、という感想です。