2012年3月18日日曜日

2012年3月18日

responsive web designというのが軽く流行りだけどあれは実装のしかたにかなり注意がいる気がする。
たとえばちょっと気まぐれにブラウザ幅を変えた時に、レイアウトが大きく変わると、サイトの使い方を学び直さなきゃいけなくなる。二度目に訪れた時にたまたまブラウザの幅が小さいと別のサイトに来た感じになる。あれはなんとなく気持ち悪い。

iPadやモバイル端末などのブラウザ幅が完全に固定される環境とか、入力方法が異なる環境向けに別CSSを用意する方向はいいと思うんだけど。

ブラウザの幅が可変な環境で、ブラウザ幅に合わせてのレイアウト変更を勝手にするというのは個人的には気持ち悪い。ナビゲーションに関わる部分は特にそう。

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しかし新しいiPadを見てても思うけど、今後一体どのデバイスに向けて最適化していったらいいものかっていうところは本当に悩ましい。特に写真などのビットマップデータ。

OS側の対応次第ではあるのだけど、今後iPadクラスの液晶がノートパソコンに乗っかってくることはあり得る流れで、そうなるとどうしても高解像度環境でも美しいものを作る必要が出てくる。

ディスプレイ解像度に依存しないように、となるとSVGやCSSを使ったベクター志向のデザインなんかもまた広がりそうな予感もする。


UI設計的にも、Win8の様子など見ているとタッチパネルでも見られることを前提にしないといけない状況になってきているのは確かという気もするし。


さてどうなるだろう。とりあえず前に企んでた企画の件もあるし、SVGについて経験値を稼いでおいてみようかな。

2012年3月17日土曜日

2012年3月17日

今日ふと見かけたリンクをクリックしたら、伊藤計劃氏のはてダにたどり着いた。伊藤計劃氏はご存じの方も多いかもしれないがすでに亡くなっていて、当然其のはてダの記事も2008年のもの。古いなぁ、と思いながら読み進めるうちにその「古いなぁ」という感覚に違和感を感じた。

情報の新しい古いというのは、情報の価値を判断する上で確かに一つの大事な要素であるのだが、それは数多くある中の一つのパラメータでしかない。
たとえば2012年の時点で2000年に書かれた誰かの記事を見たとする。それは確かに古い記事だ。だが、古くても有用な情報というのはいくらでもあるはずではないか。

日記、Blog、Twitter、Facebookなどに投稿される記事は、(それを書いた本人にとってはともかくとして)それを受けとる側の人にとっては、最新の投稿、最新の記事にこそ価値があるように感じられる。
そういう印象をどうしても与えてしまうフォーマットだ、という気がする。
だからこそ余計に、書き手にも最新のものこそ重要というフィードバックもかかってリアルタイムを志向する。そういう側面がもしかしたらあるのだろうか。

今想定している理想的な状況を作り上げるには、多分まずは「書く環境」から刷新していく必要があるのだろう。

2012年3月14日水曜日

2012年3月14日

hostsを書き換えて一時的にTwitterアクセス禁止にしてみている。本当はfacebookもそうしたかったけど仕事の都合でそうできないのが残念。

止めてみて思うけど、これはそこまで大事なものではないのかもしれないなと思う。

やはりこれまでノイズも多かったし、どう考えても情報の過剰摂取だったし、考えなくてもいいことを考えることが多かったような気がする。

そういえばちょっと前に空腹状態を長く続けると細胞が活性化するだかなんだかで老化が止まるとかいった話を読んだけど、情報なんかも多少飢餓感があるくらいで維持するのがいいのかもしれない。たとえばイスラム教の断食にならって情報の摂取を日の出から日没まで止めるようなことをやってみるのも面白いかもしれない。





自分が書きたいもの、読みたいものはどうやらやっぱりこういうものじゃない。
だから自分が書きたい場を作るために簡単なWebサービスでもひとつ作ってみようかと思う。


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まとめサイトでまとめられないと一つの流れとして成立しない時点でそれはそこに書くべきことではないのにそこで書かれていることに何かを感じるか感じないか。