2010年12月29日水曜日

2010年12月29日

大前氏 アップルは失敗繰り返しアンドロイドに負けると予測
http://www.excite.co.jp/News/world_g/20101228/Postseven_9051.html

勝ち負けの基準が「シェア」だというならそうだろうけど、その基準は何か意味があるのだろうか。企業が得なくてはいけないのは企業規模に対して必要十分な利益、であって、必ずしもシェアではないだろうし。

数がとれればいい、っていう考え方は、もうそろそろ終了でいいと思う。

2010年12月6日月曜日

2010年12月6日

ネット以前はコンテンツを広く多くの人に配布しようとすると、CDや本などの物理的な媒体を作らなくてはいけなかったために、大きなリスクを背負い込まなくてはいけなかった。だからこそ出版社というものが企業としてリスクを負って、大きなお金を動かして売る事に意味があったし、リスクを大きく取っていたのが企業であったのだから、お金の配分にしても作家側よりも企業側が有利になる構造になるというのも妥当であった。

ネット以降は、配布におけるリスクを徹底的に最小化することが可能になってきているし、配布コストも限りなく下げていく事が可能にはなっている。そうなると、企業というものが間に入る必要はかならずしも、ない。

こういう背景を下敷きにすると、コンテンツを作ることのできる人の立場というのは強くなっていきそうだし、権利関係の交渉ごとなどの場でも以前と比べればかなり強気に出られるようになっていくんじゃないかな、というのをJコミの件などあれこれ見ていて思った。

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ライブハウス方面を面白くする方法:
常に必死になってよりよいバンドを見つけてきて集客もしていかないと確実にライブハウスがつぶれるような仕組み/ルールを作って追い込む

2010年11月29日月曜日

2010年11月29日

少し前にカンブリア宮殿に宝島社の社長が出ていて、電子書籍について「取次や書店といった流通~プロモーションのためのすばらしい仕組みがあるわけだし、書店の人、流通の人などを裏切る行為なので今のところはやらない」というような事を言っていたのが印象的だった。

実際、書店網というのはすごいプロモーション力のある場だと思うし、また、個人的に(本ではなく音楽方面だけど)「対面で販売できるデジタルデータ」というのは何かいい手段がないものかということをここのところよく考えていたので、ちょっと思考実験的に「書店で売る電子書籍」というのを考えてみる。

多分、電子ペーパーと無線通信モジュール的なもののコストがぐっと下がりつつ品質がぐっと上がれば、結構人に優しい面白い仕組みが作れそうな気がする。

たとえば、本屋の棚にひたすら大量の電子ペーパーを並べる。それぞれがひとつの種類の雑誌/本の表紙をデフォルトで表示する。手にとって操作すれば中身を好きなように立ち読みできる。
また、どうしてもほかの書籍が読みたい場合は電子ペーパー上で検索などして別のものに切り替えることもできる。棚に戻すともとの雑誌/本に戻る

その電子ペーパーは、店外に持ち出すと一切機能しなくなる。
外で読みたい場合はレジで購入して、自分の持つ端末にDLするか、もしくは手持ちがなくてすぐ読みたい場合は店頭にあるレンタル端末を借りてそこにDLして読む(購入したものは個人のアカウントに紐づけられるので、別の端末でもログインすればDLして読める)

店頭の各電子ペーパーに表示するものは、店主が自分のセンスで決める。また、雑誌などは自動で最新号に切り替わる。

みたいな。同様の仕組みが図書館なんかでも使える。流通の部分は綺麗さっぱりなくなるのだけど、今の書店というインフラや環境のもつよさをできるだけそのまま移行しつつ、万引きの問題や本の整理などの手間を最小限にするという点である意味面白い、かもしれない。いやわからない。

2010年11月27日土曜日

2010年11月27日

googleの音楽サービスがレーベルの消極姿勢により立ち上がり遅れてるというのを見て急に脳裏にふと湧いてきたのでメモ。

コンテンツ販売で一番リスクを負ってるのは当然作ってる側つまりレーベル側。
Amazonのような小売りマインドのあるところはともかくとして、iTSのような単に場を提供しているだけに近いプラットホームの場合は、本来はレーベルが出店を出しているようなもの。とすれば、なぜあそこまで価格が統一される必要があるのか相当に謎。レーベルが自由に価格を設定して工夫する余地が多くないとレーベル側も戦略を練ったりデータを集めたり経験値を集めづらいはずなのだけど。また、たとえばあえて単価を高くするとか、妙に安くするとか、そういった戦略がとりづらく、売れ行きに対して価格のコントロールが硬直化されているというのは、本来得られるはずだった利益を逃しやすい構造な気がする。

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あと、価格が全てのコンテンツにわたってほぼ同じである場合、売る側の取るべき行為は「とにもかくにもできるだけたくさん売る」ことなので、そうすると、できる限り広く一般ウケする音楽こそ正義ということになる。ので、まあ、一部には熱狂的に愛されるようなニッチなものや、挑戦的なコンテンツが非常に作りづらくなり、文化としては停滞しやすいし、あとは楽曲の質などよりもわかりやすい価値を持つアイドルであったり、半ばポルノ的なコンテンツのほうが主流になりやすい。かもしれない。

2010年9月29日水曜日

2010年9月29日

http://shuffler.fm/
を試してて思ったのだけど、こういうサービスが今後も出てくることを考えると、今のメジャーレーベルのやり方じゃ戦えないだろうと思う。
インディーなミュージシャンは基本的に楽曲を聴いてもらうことを重視するので、可能な限り楽曲は無料でシェアするし、最低限フルレングス試聴ができる環境を整える。そうしてシェアされた音楽ならばそこからさらに拡散させていくためのサービスなども非常に設計しやすい。
そんなところで権利がどうとかで45秒試聴にとどまったりするなら、ネット上でのプロモーションとしてどうしても弱くなってしまうし、そのうちメジャーがメジャーと呼べなくなる時がこないとも限らない。いやわからない。
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ていうかつくづく思うのだけど、本当に音楽は信じられないくらいたくさんある。面白い音楽も腐るほどある。でもその中から好きになれる音楽を探すのは本当に難しいし、今こそ音楽情報を適切にまとめて発信できるメディアが必要だと思う。のでなんか作る。

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この間ふとアニメなどをひたすら見ながら仕事したいと思って、有料でもいいからたくさんアニメをだら見するのにいいサービスないか探した。具体的には月額課金でいくらか払うと、あとはYouTube並にシンプルに、見たいときに見たいように見られるようなものないかと思って探していたのだけど、そういうものは残念ながらなかった。月額課金自体は数年前にそういうサービスあったみたいなのだけど、サービス終了してた。

有料でアニメを視聴できるサイトはほとんど1本単位/シリーズ単位での課金で、お金を払わないと見られない仕組み。まあ通常の商慣習にのっとって素直に作れば当然そうなるのだけど。でも、ぶっちゃけYoutubeとか海外の動画サイトで違法配信されているアニメなんかと比べてしまうと、どっちにしても探すコストはかかるし、違法もののほうが支払いの手間もない分便利に思えてしまうのはしかたのないところなのかも。…という点にものすごく違和感があって、なんで有料のもののほうが不便になってしまうのか、その点は動画配信サイト側でもう少し考えた方がいい…気がする。

正直、ニコニコ動画あたりで、アニメをありったけ全部アップして、月額課金で自由に見られるようにして、再生数に応じて制作会社にリターンとか、そういうモデルは作れないものなのかなーと思う。要するに、YouTubeと同等か、それ以上に便利な見方ができる仕組みであってほしい。

コンテンツを広める上では今も昔も「便利さ」というのは重要なファクターで、レコードがCDになってCDがデータになってiPodにおさまっていくのも「便利だから」というのが割と大きな理由をしめているように思う。ので、もうひと段階の進化を望む。

2010年6月25日金曜日

2010年6月25日

http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/1006/25/news012.html

Appleが音楽市場を囲い込み終えているなんて自分には冗談にしか思えない。

少なくとも自分の場合は多少面倒だけど気になったアーティストの音楽はそのアーティストの所属するレーベルのオンラインショップで購入してiTunesに入れるという事をよくやっている。そのほうが大抵多少安いし、また所属レーベルつながりで面白いアーティストに出会える可能性などもあって面白いからだ。
#余談だけど、こないだ某レーベルから音楽を買ったら、そのレーベルのサンプラー的なMP3集がおまけでついてきた。こういうことはiTSでは起こらない。

もちろんこんなことをするのは少数派だという事も分かっているし、iTSの利便性もわかる。でも、個人的な趣味だけで言うならAppleのやり方は最高にクールなもの、ではないと思うし、iTSのユーザーインターフェースやカテゴライズ、レコメンデーション、価格等々、Appleのやり方は全くもって気に入らない。ひどいとすら思う。

Appleの作り上げている仕組みも、ちょっと安価だったり楽しかったり便利だったりする販売の仕組みなどがあればわりと簡単に塗り変わる可能性があると思っている。AndroidというiPodに成り代われる可能性のあるハードウェアを手に入れたGoogleならば、それを塗り替える役者としてはかなり面白い位置にいると思う。

多分、Googleは携帯電話(のち、Chrome OS)に関わるコンテンツもアプリも設定もみんなクラウドの向こう側に置くモデルを推進・完成させたいと考えていると思う。音楽サービスもその一端としてあるものだろうと予測している。

自分としても早くそういう時代が来て欲しいと思っているし、仮にそういう方向に行かないにしても、正しくAppleと対抗して競争できるプレイヤーがいないというのは世間的に不幸な事だと思うので、少なくともGoogleの動向については期待を込めて追っかけてみたいなと思うところ。

2010年6月21日月曜日

2010年6月21日

http://www.asahi.com/eco/TKY201006210079.html

いや、ほんとにやることで色々な効果が期待できるなら、サマータイムでも導入したらいいんじゃないかって思うんですが。

しかしCO2削減っていうのを目標に掲げるものが総じて胡散臭く見えるのはなんなんだろう。個人の家庭がほんの少し生活スタイルを変えてCO2がちょっと減ったくらいでそれがどれほどのもんなんだろう、というのがいまいちピンとこない。

贅沢を一度覚えた人間は元の感覚には戻れないし、進んだ針は戻らないし、深夜の時間を愛してしまった人はそこから抜け出たくはないし、24時間営業を始めてしまったコンビニファミレスはなかなか深夜営業は止められないだろうし。人間の欲に沿って世界がこうなっている以上、それをちょっとしたキャンペーンなんかで変えられるわけがないのです。だったらそんなことにいらない予算や知恵を費やすよりも、人間のスタイルを変えずにエネルギー消費を圧倒的に減らすような技術革新を目指す方が格段に効果的であるはずだと思うし、それが人間っていう変な生き物の生き残る術だと思うのです。

2010年5月21日金曜日

2010年5月21日

Appleは編集者がいて品質管理がんばる、オーディションありのネットレーベル
Googleは検閲もろくにせずに投稿された曲をほいほい載せるCGM的音楽サイト

みたいなイメージがふと浮かんだ。

品質管理がんばる型だと、顧客満足度的な意味で言えば当然色々質は高いし満足度は高い。ただ、編集者の限界がその場全体の限界になるので、編集者が激烈に優秀でセンスに優れている必要がありそう。そこがブレたりダメになると全体が一瞬で落ち込む危険性もある。

CGM的方向だと、粗悪なものもたくさんあってひどい状態になって、大抵は満足度としては低くなる。ただ、限界がないので突然変異的にすばらしいものが生まれる可能性がある。

自分はなんだかんだでやっぱり後者のほうが好きなんだよなー、と。玉石混淆のひどい混沌の中から何かが生まれるような、そういう場がやっぱり好きだ。

2010年5月20日木曜日

2010年5月20日

http://jp.techcrunch.com/archives/20100519chrome-os-versus-android/

このところ考えていること。

今のインフラではまだ無理だけど、たとえばネットワークの速度やサーバの処理速度などが激烈に高速になって、ストレージのコストが激烈に下がり、使えるストレージ容量が限りなく無限大に近づく、そんな未来を想像してみる。

…と、今のPC、今のネイティブアプリケーションの不自由さ、不便さが際立ってくる。

アプリケーションも環境設定もデータもリモートで一元管理されたほうが何かと都合がいい。
マシンが変わるごとにアプリケーションの環境設定を設定しなおすとか、他人のマシンを借りた時に使い慣れない環境で苦労するとか、そういうのは本当に無駄な、本当にいらない手間だと思う。


アプリケーションはいちいちインストールしたりアップデートしたりする手間などない方がいい。何もしなくても起動できて、自動で最新版になってくれたほうがいい。使っているうちに不具合が出て再インストールで環境設定をやり直すとかなんて馬鹿げた手間だろう。

自分の所有するファイルは自分がどこにいても、どんな場所でどんな端末からでも見られるほうがいい。ファイルの共有だって、ファイルを物理的な媒体などを経由して複製を渡すよりも、ファイルのURLみたいな位置とアクセス権限を渡して済むなら便利だろう。いちいち圧縮してメールに添付するとか、ディスクに焼くとか、USBメモリにコピーするとか馬鹿げている。一つのファイルに対して共同作業するならば、リモートにしかファイルがない形ならばバージョン管理も簡単かもしれない。ファイルのバックアップもリモートで勝手にやってくれれば、いちいち手元で別のハードディスクにコピーするとか、RAIDみたいなシステムをがんばって組むとかする必要もない。

コンテンツは「所有」するより「アクセス権」で管理する方がスマートだ。だってまったく同じファイルなのに世界中の100万人のハードディスクでそれぞれ10MBずつも占有しているなんてなんかひどく無駄なことだと思う。必要な時に必要なものを読み出して楽しめればいい。DLして手元に置いておかないと自分のものじゃないからアクセスできないって、それってなんてリスキーで楽しくないことだろう。HDDがクラッシュしてファイルをなくしてしまうかもしれないし、音楽を聴きたい時に限って手元のマシンにその曲が入ってないかもしれない。

というか、そもそも何かを所有するというのは不自由なことだ。十万円も払ってPCを所有してもそれはすぐに陳腐化する。何かを所有するよりも必要なものを必要な時に必要なだけ借りる形のほうがリスクも低くスマートだ。

「シンクライアント」っていうのが結構前から言われてるけど、現時点で自分の貧困な想像力で想像できる未来の中ではそっちの方向がやっぱり一番合理的でスマートな未来、という気がする。手元の端末は単なるViewでありUIであり、実体はリモートにあってこみ入った処理はサーバサイドで行われ、成果物は全てリモートに蓄積される。そういう形。

そうなれば、多分人は「PCの置いてある場所」という制約や、PCのメンテナンスにかかるコストや、何か色々なものから自由になれる気がする。


とりあえずブラウザで動くアプリケーションっていうのがそういう未来の一端をちらりと見せてくれている気がしていて、GoogleがChrome OSなどでそういうものを推し進めようとしている事にはなにげに結構共感している、ような気がする。いやわからない。

2010年5月18日火曜日

2010年5月18日

softbankの社長が光の道構想にやる気というのを見て、
twitterで誰かが「でも未来はどう考えても無線のほうだよな」と言ってるのを見てふと思った。

あれって、実は無線接続環境を構築するための下準備なんじゃなかろうかと。
たとえば国内の全家庭に光ファイバー網が整備されたとする。で、たとえばそこに貸し出しモデムとしてFONみたいな機能を含んだルータを貸し出す。

するとどういうことでしょう。あっという間に国内に高速公衆無線LAN網が完成する。そうしたらもうなんか無線の帯域がどうとかどうでもよくなるかもしれない。無線LAN経由でIPフォンっていうサービスも作れるかもしれないし。

どのみち無線接続環境を作るにしても、どこかからは有線になる。そこで高速でキャパのでかい光回線が国内どこにでも張り巡らされていたら、接続スポットの設置も容易。これは確かに投資の価値はあるかもしれない。

2010年5月12日水曜日

2010年5月12日

たとえばtwitterやmixiなどでお互いの素性や嗜好なんかを知った状態で初対面、という場合、服装だったりお化粧だったりをばっちりにするとかそういうことをする価値はさほど大きくない。というか、どれだけ飾り立てたところで、すでに内面を知っているのだから飾りの部分でどれだけ背伸びしても見透かされてしまう。

もしお互いにお互いの素性を知らない同士で、互いに必死にスクリーニングするような場面でなら、外見にこだわる価値はあるのだけど。

マスな時代っていうのは、多分そういう「互いに知らない同士」な状態だったんだと思う。互いに素性を知らない同士で「売りたい」「買いたい」が交錯する場だからこそ、イメージ戦略とかに意味があったんじゃないか。

こうしてインターネットを通じてある程度互いの顔が見えるようになってくると、どれだけ企業イメージだのなんだのを高めたところで見透かされてしまう。

どれだけソフトバンクが必死に企業イメージを高めようと広報戦略を打つよりも、トップがtwitterで「やりましょう」と言うほうが全然説得力があるし、信頼感も増す。

商売っていうのはもともとお客さんが目の前にいて、その人をどうやって喜ばせることを考えていたものだったはず。それがマスの時代に互いの顔をちゃんと見ずに商売が成り立つようになった。今やっとそれが元の形に戻りつつある。そんな気がする。

マスの時代みたいなバカみたいに大きな売り上げはあがらなくなっていくのかもしれない。でも、それぞれがそれぞれ身の丈にあった、人を喜ばせるモノが作られやすいいい時代になっていくんじゃないかな。そんな気がする。

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てか、ファッションの根本的な価値ってなんなんだろうね。
自分をかっこよく/かわいく見せる、とかだとしたら、極論もうそんなものはいらなくなるんじゃないかという気もするんだけど。

2010年5月11日火曜日

2010年5月11日

http://www.businesswire.com/portal/site/home/permalink/?ndmViewId=news_view&newsId=20100510005773&newsLang=en

Androidが数の面ではiPhoneを上回る。まあ単純に考えて出る端末の種類と数が全然違うから当然といえば当然の流れ。

多分、AndroidとiPhoneはMacOSとWindowsみたいな関係になっていくのかな。
iPhoneのほうが端末の種類が少なくAppleが完全にコントロールしているので、アプリ等の質は高く維持される。でも将来的には本当に欲しい機能は有償化されていったりとかもあり得る。
Androidは端末の種類も多くてOSのバージョンも無茶苦茶で、数は多いけどアプリ作りはちょっと面倒で質もまちまち。使う人が多いからカスタマイズするためのフリーウェアなんかもどんどん出るけど数が多くてカオスで、情報をしっかり収集していけば無償に近い金額で思い通りにできる、みたいな。

2010年4月20日火曜日

2010年4月20日

なんとなくもうサーバから出力されるHTMLを限界まで最小化して、ブラウザ側で装飾上必要なタグとか全部足してViewを構築するような設計を妄想した、そんなお風呂タイム。
JSのテンプレートエンジンて前から色々あるけどHTML5世代になるとそういうのも設計思想としてわりと普通にアリになってきそうだなー、とか。ちょっと調べてみよ。

2010年4月16日金曜日

2010年4月16日

あなたは何を売って、なんの価値でもって稼いでいるんですか?
っていうことなんだよなー。
紙を売っているのか、中身を売っているのか。
円盤を売っているのか、そこに記録されている中身を売っているのか。
紙を作って売っているのか、媒体を作って売っているのか。
印刷技術を売っているのか、印刷されたコンテンツを通じたコミュニケーションの媒介サービスを売っているのか。



自分ももうちょっと売りものを整理しておこう。。。

2010年4月14日水曜日

2010年4月14日

CDショップって、単にCD売ってるだけで、CDショップのところで付加される価値というのが結構少ない気がする。
たとえばスーパーマーケットであれば、そこでまとめて買えるとか、ものを見て買えるとか、そこで買う価値、付加価値がやっぱりあると思うし。
それがなかったらぶっちゃけ通販とかのほうが便利なこと多いよねー、とか。

「ここでしか買えない」とか
「マニアックな店員があなたにいい曲オススメしてくれる」とか
「このジャンルならこの店」とか
「ここで買うと特典つき」とか

まあなんかお店ごとに付加価値づけしていけば、生き残る道はあるんだろうなーとかなんかそういうことをふと思った。

2010年4月9日金曜日

2010年4月9日

iPadて、見方を変えると即時起動できる(というかまあ常時起動でいつでも即使える)PCなんだなー、と。そんな事をふと思った。
起動ボタン押してから立ち上がるのを待たなくていいってだけで結構価値ある気がする。

2010年3月23日火曜日

2010年3月23日

http://d.hatena.ne.jp/gavangavan/20100323/1269321993

ホリエモンと川上さんだと見てる時間軸がちょっと違う、そんな気がした。
川上さんはずっと先の将来も含めて見た上での可能性と自由度を含めて考えてる感じ。
ホリエモンは「今この時点ともう少し先の未来」でどこに資本を突っ込むのが一番効果的かを考えている感じ。

2010年3月7日日曜日

2010年3月7日

http://machine.livedoor.biz/archives/51436399.html

こうしてがんばって本を電子化している人って世の中にそれなりにいると思うんだけど。そうやって電子化された本を集めて権利者に許諾とって売るようなモデルってありえないもんなのかな、と。だって同じ本を世の中のいろんなところでスキャンしてるとかなんかすごい無駄だと思うし。かといってすべての出版社がちゃんと独自に電子化とかしないだろうしさ。

2010年3月4日木曜日

2010年3月4日

ソフトの環境設定というのは、自分の使いやすいようにするためにどうしても必要なことなのだけど、たとえばメンテナンスなどで再インストールをした際に、以前設定していた状態まで復帰させるのは結構しんどい事がある。

設定ファイルのエクスポートができれば一応はそれを自分で管理してどうこうできるけど、実際にメンテナンスが必要になるような頃にはそんな事すっかり忘れて設定は失われてしまったりするわけで。

たとえばソフトを購入すると、そのソフトのメーカーが管理するサーバのWeb領域が割り当てられて、変更した環境設定を自動的に保存して、再インストールの際には自動的にsyncするようなしくみをつけたらいいと思う。どうせライセンス管理が必要なんだし、そういう機能をつけることが不正コピーなどの減少にももしかしたら少しくらい役に立つかもしれない。

…と、Dreamweaverを入れる度に毎回やってるショートカットの設定をしながら思った。

2010年3月2日火曜日

2010年3月2日

最近の案件で実際に「iphoneで見れないからフルFlashはなぁ」という話が出たりした。
まあ、そういうご時世なんだろうな。

しかしよく考えてみたら、昔Flashがもてはやされたのって、回線が細いことに伴いあまりリッチなグラフィックとかも使いづらいような状況で、その中で「目立つ」から「目新しくて印象に残せる」からというのと、あとはローディング表示だったり、ロード不要で画面切り替えできる事なんかも「閲覧者のストレス軽減」の意味で閲覧する人にとってもコンテンツ提供がわにとっても意味があったからというのが結構大きくて。

そんな前提が限りなくなくなった今においてFlashサイトの持つ意味とか価値ってどうなんだろうということはやはり思う。

たぶん、これから自分がフルFlashサイトを提案することは、よほどの事情がないかぎりはないだろう。という確信でもって、ここ裏ブレにおけるFlashサイト談義はここに終了を宣言する。

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日経新聞の有料電子版の価格設定を見て、Web屋感覚からいくとちょっと高くね?という値段だと思ったのだけど、戦略的な意味で言うなら全然まっとうなのかもと思い直した。
たぶん、最初からあまり安くすると紙のほうが急に縮小する危険もあるし、それって国内に持ってる配達インフラに関わる雇用とかいろんな面でインパクトが大きいし。
最初は高めに設定して実験的位置づけで開始して育てていって、いずれ紙が死にゆくとしても、その死はゆるやかにしたい、というのはまっとうな考え方だと思う。それに高いモノを安くするのは簡単にできるけど、安いモノを高くするのはしんどいというのもあるし。

あと、日経の場合は海外とかの紙を送り届けにくい地域あたりからの引きなどもありそうだから、そういうところでうまく新規開拓していけたりすれば、(他の新聞はともかくとして)日経ならこの価格でも全然アリなんじゃないかという気もする…んだけどどうなんだろうね。

2010年2月23日火曜日

2010年2月23日

http://wiredvision.jp/blog/masui/201002/201002091900.html

・手段と目的を間違えるな
・ニーズの本質を見極めろ
・ゼロベース思考を
・「ドリルを買いに来た人がほしいのはドリルじゃなくて穴」

とかっていう、至極まっとうで当たり前の話なんだけど。けど、こういう至極まっとうで当たり前の事を考えてはなせる人って実は意外と少ないのかもしれない。自分もまだ甘い。

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ちゃんと記録するにははてブとかではどうも不足だと思う今日この頃。Blogとブックマークの中間くらいのつもりでこのBlog書いてるけどこれくらいが自分にはちょうどいいかも。

ここに書こうと思わないくらいの本当にブックマーク程度の意味しか持たないものははてブとか、もしくはXmarksで管理してるブラウザのブックマークくらいでいい。
ちゃんとPR的に書きたいものはengawaのBlogにでも書く。さらにきちんと編集してちゃんとしたコンテンツにしたほうがいいものもある。

記録として自分が自分の過去の思考の変遷を記録しトレースするためにはこれくらいの規模の情報量がいいな。twitterよりは書けてBlogというほど重くなく、コミュニケーションの要素がないくらいの感じ。てかこれってまさしく「日記」か。

2010年2月8日月曜日

2010年2月8日

家のテレビ買い換えて、BSも見れるようになったので、唐突にWOWOW加入してみた。今更。
加入キャンペーンで来月末までは約1000円で見られる。それ以降は毎月約2500円程度。

単に月額コストをおさえつつ、質の高い映画をたくさん見るにはどうしたらいいか、という検討の結果、こういうのもアリかと思って試してみてるのですが。

で、加入してまだあまり経ってないけど、予想外にわりとアリだなーという印象。「あー、これちょっと見たかったけど映画館行くほどでもなかったんだよなー」「そのうち見れたらみたいと思ってたんだよな―」的な、話題になった/良質だという評価の映画などをちょくちょくやってくれるので、仮にレンタル屋に行ってDVD/BDレンタルしてきたりする場合のレンタル代+探しに行くコストなど勘案に入れて比較してみると、コスト的にも悪くなさげ。

結局、そこまでの映画狂じゃない自分みたいな生き物にしてみると、みたいと思ったことのある映画もすぐ忘れるし。こうしてWOWOW側で選んで「提案型」でいろいろコンテンツが手元に届いて、「あーこれこれ、見たかったんだよね」というのもいいもんだ、と。

よく考えてみると、これって結局、電波を使った雑誌みたいなものなんだよね。
月額いくらか支払うことで、無料のものよりは質の高いコンテンツがコンスタントに届いて、それをどう消費するかはこちらの自由っていう。

こういうカタチも悪くないもんだなー。

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iPad発表以降の話とかいろいろ読んでて、つくづくMacromediaがMacromediaのままだったら今頃どうなってただろうなー、と思う。
今更こう言うのもなんだけど、「あの頃はよかった」。

2010年2月4日木曜日

2010年2月4日

あとで別のところに書くかもしれないのでいい加減なまとめ:

http://clockmaker.jp/blog/2010/02/flash-vs-html5/

数日間、ChromeにFlashをブロックする拡張機能入れてサイトを見るということをやってみて、実際に困ったのはYouTubeやSlideShare、ニコニコ動画などの、どちらかというとアプリケーションに近い部分でFlashが使用されていた場合に限られ、通常のサイトを見ている限りはさほど困る機会はなかった。なんか別にFlashってなければないでそんな困らなくね?というのが正直な印象。

Webサイトを表示できるデバイスの幅が広がってきた今だと、Flashを情報表示には使えなくなってきてるのは確か。FlashはどちらかというとPDFとかに近いもので、レイアウト等すべて規定してしまうために、小さなスクリーンでは非常に読みづらくなってしまったりということが起こる。また、ページ印刷したときの対応とかにもいろいろと問題を抱えている。その点、ブラウザ側で完全にレンダリングできるHTML/JSであれば、少なくとも印刷できないとかそういうことは滅多にないだろうし。HTMLというのは根っこにあるのは単なる文書の構造定義なので、ブラウザが表示上の解釈を変えれば、どんなデバイスでもデバイス側で最適化して読みやすく表示することができるという大きなメリットがある。実際、電子書籍のフォーマットも、ベースはXHTMLになっているものが多い。

という意味で、たとえばFlashで縦書き表示ができるとか、できるとしてもそれを使う価値のある/必要な場面というのはかなり限られるだろうし、そもそもFlashで情報を表示するようなものを作る価値というのはどんどん下がっていくはず。

また、100%すべてのHTML表示端末にFlashプラグインが提供されるわけでもないと考えれば、「情報」を提供したい人にとってFlashは選択しづらい選択肢になっていくだろう。

もちろん、「レイアウト」というのも大事な「情報」ではあるんだけど、ことブラウザに関してはレイアウトを100%提供者の意図通りにしようとするのはちょっとナンセンスな気もする。

とはいえFlash自体に価値がないこともなく、ゲームとかアプリケーション的なことをやるためのものとしては生き残ると思うし、そっちにはまだ未来があると思う。が、オーディオの生成や3Dも、パフォーマンスの点ではどう考えてもネイティブアプリのほうが有利だとおもうし(だからオーディオ系ライブラリの開発は熱が冷めてしまった)。さらに、iPhoneのようなものを前提に考えるなら、それはネイティブアプリにしたほうがUXの統一の意味でも使い勝手がよくなる。

…という意味も含めて、Flashの未来はブラウザ上よりも実はAIRのほうにあるような気もしている。javaなどに並ぶ、ひとつの開発言語/フレームワークとして、いいポジションをキープできる未来があるといいなーと思っている

2010年2月2日火曜日

2010年2月2日

科学って宗教だよなー、と思う。

というか、宗教の果たしていた役割の何割かを科学的なものが今受け持っているんだなー、っていう。
元来、世界創造とか、なんで人間ここにいるの、とか、地震みたいな天災のようなものっていうのはすべて宗教が説明していた部分だった。説明することで、わからない不安とか不条理な出来事に対する不幸感というのを解消していたわけなのだけど、それを科学が説明するようになって、宗教の出る幕がだいぶ減った。

それでも科学では説明しきれない部分がまだあって、それはたとえば死んだあとにどうなるのかとか、世界はなぜあるのかとか、ちょっとした巡り合わせによる日々の不幸な出来事とか、そういうのは説明できることではないのでやはり宗教的な話になっていく。

ただ、それはもはやわからないならわからないで別に困らないし実害のない部分も多いので、宗教の存在価値というのは相対的に下がっていくことになる。

宗教の現場にいる人ってその辺のこととかどう考えて、どういうポジションにたってどういう価値を世に提供しようとしているのかちょっと興味ある。

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なんか↓あんなエントリ書いてたおかげか、このページの広告が全部kindleになっててなんか笑った。さすがgoogle先生。

2010年1月31日日曜日

2010年1月31日

iPadにFlashのらないのってなんか非難とかされてるの?
そんな話を見てなんとなく


iPhone OSにFlashが乗らない9つの理由


・Flashの全機能を認めるのは危険だし、かといって機能制限版とかにするとまた文句出るだろーし
→ローカルファイルにアクセス?は?何いってんの?死ねばいいのに。iPhone上でなんかしたかったらこっちで審査とかしてコントロール可能なアプリのほうでやってくれます?


・Flashとかアリにすると、Adobeが将来何しやがってくれるかわからないし
→ローカルファイルにアクセス程度ならまだしも、将来のアップデートでiPhoneの楽園を乱すような機能つけないとも限らない、というか必ずつけてくるよAdobeのことだから。

・どうせAdobeのことだから、そっちで勝手になんとかするでしょ?
→Flash CS5でiPhoneアプリ書き出せるんでしょ?それでいいじゃん。

・アプリ(主にゲームとか)と競合するだろJK
→せっかくゲーム端末としても売り込んでるのに(iPod touchを中心に)、なんでそんな勝手FlashゲームとかできるようにしてApp Storeのうまみを減らすようなことしなきゃいけないわけ?ばかなの?しぬの?

・ぶっちゃけFlash見れなくてそんな困る?
→広告が見れないとかそんなのどうでもいいでしょ? YouTube?アプリで見れば?ニコ動?アプリで見れば?Flashサイト?そんなものパソコンで見ればいいじゃん。ていうかうちのiPhoneやiPadと仲良くしたいならサイト作るほうがFlashなんて使うのやめればいいだけじゃないの?

・コントロールできないものは悪、ってことですよ
→アプリのように審査を通さずにアプリ的な事されるのは正直いやだし。HTMLならメモリ管理とかあれこれこっちでコントロールできるけど、Flashだと何がどうなるかわかったもんじゃない。そんな怪しいもののせられるわけないじゃん。

・iPadでFlashサイト見る?ありえないだろJK
→えてしてFlashサイトは処理的に重いし、UI設計も適当だし。文字のコピペとかできないかもしれないし。そうすると非力なiPhone/iPadでは表示がもたついたりしてユーザエクスペリエンスが悪化するでしょ。そうするとiPhoneは低スペックとかスペック厨が騒いでAppleブランドにいらない傷がつくわけ。わかる?

・リッチメディア(笑 そんなのブラウザでやることじゃないじゃん。ていうかHTML5でいろいろできるしそれでいいんじゃないの?
→動画見るとかそんなのブラウザでやらんでもええやん。どうしてもアレだったらHTML5でいろいろできるようになるからそれでええやん。

・ぶっちゃけFlash、っていうかAdobeとか嫌いだし
→これだけ競合するソフトとかも出してるのにまだ気づいてないの?


みたいなエントリをふと思いついたけどまあどうでもいいですね。

とりあえず自分的にはiPhone OSにはAdobe製Flashは乗らない、に100ペリカ。

2010年1月27日水曜日

2010年1月27日

CDにしても本にしても、それって単なる「媒体」で、単なるコンテンツの「容器」なんだよね。容器としての利便性があったから買う価値があった。
その容器としての価値が相対的にどんどん下がっているのは明白なわけでさ。純粋に「コンテンツ」を求める人からしたら、容器はもはや邪魔なものになりつつある。

同人CDが売れるのって、まだ「モノ」としてのCDが、同人誌なんかと同じく価値をもっていられるからなのかな。

出版業界とかどうなっていくんだろうねほんと。

2010年1月21日木曜日

2010年1月21日

Amazon DTP
https://dtp.amazon.com/mn/signin

http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=176060&p=irol-newsArticle&ID=1376977&highlight=

70%っていう数字は、どうやらAppleのiSlate?の対抗のようですが。
それでも、これだけの縛りをつけた上で、ということであれば、ぜんぜんAmazonにとって悪い数字じゃないと見た。

モノとしての書籍を流通販売するコストを考えると、書籍本体の仕入れ値、在庫コスト、流通コスト、人件費等あって、書籍の販売代金に対するAmazonの取り分が(多めに見積もって)5割くらいとしても、実際に「利益」になるのは3割よりは下になると思われる。

とすると、電子化されることで浮く諸々のコストを勘案に入れれば、印税を70%よりさらにあげてもペイできる余地は(投資フェーズの今はともかく将来的には)あると見た。


kindleというモノを販売することで回収、という見方もあるみたいだけど、それはあんまりないと思ってる。逆にkindle本体はどんどん値を下げて端末の数を増やし、Amazonに対する忠誠心を高めさせ、同時に高い印税率+縛りでニッチなものまでふくめたコンテンツを増加させた上で、Amazon得意のマッチングのしくみ、アフィリエイトのしくみを使ってがんがん売っていく、というのがAmazonのやりかた、という気がする。

Amazonはなんだかんだで商売人の魂が宿った会社だと個人的には思うので、Appleみたいなハードウェア込みの会社とはちょっと思考のポイントが違うと思う。

独占まではいかないにしても、これで電子書籍の出口としてスタンダードの地位を築いてコンテンツ量さえ増えれば、あとはKindle以外のデバイスに対してや、オンデマンド印刷サービスみたいなものへのライセンスみたいな方向とか、kindleというハードウェアに縛られないモデルにもっていくことが(状況によって)できるのはAppleにはないAmazonの強み。というか、Appleと敵対?するハードウェアメーカーは山ほどあるので、それ全部味方につけたらAmazonの一人勝ちはほぼ確定したようなもの。

以降はpanasonicとかsonyとかサムスンあたりが「amazon対応」とか謳った電子ブックリーダ出したりとか、sharpあたりからamazon対応を謳った電子辞書出てきたりとか、なんかそういう流れなんじゃないかな。
いや、まだamazonの電子書籍のフォーマットをちゃんと把握してないのでなんとも言い切れないですが。

まー自分はコンテンツを作る側として、少しずつ投資を始めようかと思います。
…ので、なんでもいいから早く日本向けのいろいろ整備してください。

2010年1月6日水曜日

2010年1月6日

Appleの新製品の噂がいろいろ出てるので自分もちょっと予想とかしてみる。
とりあえず「タブレット的なもの」らしい、というのは正しいと仮定して、じゃあどういうものをAppleが出してくるか。

Appleの製品ラインナップって、それぞれが独自のPRポイントを持ちつつ、かつ、互いのパイを取り合わず、できるだけ共存できるような、そういう企画がきっちりとされている。

噂されてる(というかガジェット愛好家に期待されてる)ような、実用的なtablet PC(MacBookの置き換えになりうるレベルの)というのはいまいち考えづらい。それはtabletでの操作よりはどう考えてもキーボード+トラックパッドの方が、メールを書いたりといった通常のタスクには都合がいいだろうから。そこをあえてタブレットにして残念なユーザエクスペリエンスを生むことはしないと思うし、MacBookのパイを奪うようなこともしないと思う。

予想としては、ベースはiPhone OS、ジャンルとしては「デジタルフォトフレーム」や「テレビ」「メディアプレーヤ」、「電子ブックリーダ」に近い領域を攻めてくるんじゃないかと思っている。
気軽に持ち運んで、いろんなところで本(電子書籍やPDF、エクセルワードみたいな書類)を読んだり、音楽を聴いたり、動画を見たり、ネットを見たり。あとはちょっとした手書きメモをしてみたり。そういう「見る」を中核に据えつつ多機能な、マルチなコンテンツ端末。

音楽、動画ときて、Appleが手を出し切れてないジャンルの一つが「書籍」なので、この方向が一番しっくりくると思うんだけど、さーてどんなものが出てくるだろう。

2010年1月5日火曜日

2010年1月5日

エコって言葉が嫌い。いや、エコっていうのを付加価値っぽくみせかけて価格をつり上げたり、免罪符にしてサービスの質を下げたりするような、マーケティング的に使われる「エコ」が嫌い、というのが正しいか。

「環境に優しい」ってのは、優れた技術革新があれば一気に到達できるものだと思っている。
たとえば電球こまめに消したからって変わる電気の量なんていうのはほんのわずかだし、それをすべての人に徹底できるわけではない。
それよりはたとえばLEDの技術をどんどん進めて、電球と変わらないクオリティで電球より安く買えるようにしたら、ほとんどの人は電球を使うのをやめてすべてLEDに変えることになるだろう。そうしたらどれだけ消費電力が変わるか。

燃費のいい車を作れば売れる。それは買う人にわかりやすいメリットがあるから。そして売れればそれが環境に優しくなる。だれかがエコだなんだという必要はない。勝手によくなる。

人というのはどこまでも楽な方、うれしい方へ動くものなので、それを変な理屈で制限する方向の考え方はあまり好まない。人が自然に行動していて、それが自然に環境に優しくなる。そういうことを起こせるのは強烈なテクノロジー、だと思う。

電球こまめに消そうとかCO2減らそうみたいなよくわからないキャンペーンをやるよりは、必死に人のためと会社の利益のためを思って技術革新に取り組む会社に資本を投下した方が明るい未来が見られるんじゃないか。そんな気がする。