2012年12月27日木曜日

2012年12月26日

銃乱射事件は暴力的なゲームのせいだとして、じゃあ暴力的なゲームはなぜ作られるかといったら、銃などが世間に普通にそこらにあって暴力的な事が起こる世の中を下敷きに作られるからそういうゲームができあがるのだ。だからそういうゲームが作られないように銃や暴力などは規制されるべきだ。
みたいな理屈を考えてたけどそんなに面白くはなかった。

2012年10月20日土曜日

2012年10月20日


たとえば甘いものが大好きな子供がいたとして
それを欲しがるからって
甘いものばかり食べさせていたらどうなるだろう?

欲しがるものを提供する、っていうのは
一見するととても相手のことを考えて相手のためにしているみたいに見えるけど
実際はそれは何も相手のことなんて考えてなくて
ともすると与える側の自己満足みたいなものに近い
そういうものなんじゃないかなって思います。

要するに何が言いたいかというと
僕はマーケティングみたいな話がわりと嫌いです。

2012年7月31日火曜日

2012年7月31日


デザインにしても音楽にしても、その価値を見抜く目を買う側の人間が皆持っていたとしたなら、作る側もおいそれといい加減なものが作れなくなって、本当にいいものがたくさん作られるようになるだろうな、と思う。

結局、分業だから誰かが特別賢ければいい、ってことじゃなくて、ある程度みんなで一緒に賢くなる必要があって。

だからやっぱりもうちょっとそういう「賢くなる」っていう部分に作用する何かを考えたい。

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人をバカにしたような内容の情報を提供し続けると受け手はそのままバカでいいのかなとバカを肯定的に思ってしまうのではないか試論

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2012年7月30日月曜日

2012年7月30日

facebookアカウントというのは要するにかつての「メールアドレス」なのか。
誰かと知り合って、交換する連絡先が単にメールアドレスからfacebookに切り替わっただけで。

なんとなく、だけど今facebookでやってることはある程度メールとその周辺のサービス(メーリングリストとか)で代替できそうにも思う。
あれこれの機能のお陰で少しくらいは便利になってるけど、本質的にはメールでやってたコミュニケーションと大きな違いはない、のかも。

まあ、だからなんだという話ではあるのだけど。

2012年4月26日木曜日

2012年4月26日

Webがバカと暇人のものとか言われるけど、単純にバカと暇人の声が大きく見える構造なだけじゃないかということをふと考えてみたりしている。

会議では声の大きい人が発言権を得る。
ネットではアウトプットできる情報量の多い人の発言が量的に多く見えるから、それが主流のもののように見える。

仕組み・構造として全ての人が同列に並ぶようにすればまた違う何かが見えてきそうな気がする。

2012年4月21日土曜日

2012年4月21日

snapguideから来てたメールを見ていたら、「follow us」の中にpinterestがあった。
並んでたのはfacebook,twitter,tumblr,pinterest,google plus。
なるほどSnapguideに投稿されるハウツーの写真をpinterestに流すというのは理に適ってる。

人が集まるSNS的な場に情報を出力していかないと情報にアクセスしてもらえないというのがここ数年のWebの状況というもので、「人の集まる場所」がどこなのかの嗅覚は、サービス作りやプロモーションを考えると確かに必要なものだなぁと思う。

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しかし最近のモバイルの流れは大きい。TwitterなどのSNSであるサイトの情報が拡散された場合、モバイルからのアクセスがかなり多くなるという実感がある。
そりゃ大半の人にとって、TwitterはPCに張り付いて見てるものじゃなくて、モバイルでヒマな時に見るほうが多いだろうし、リンク先を「見たい」と思った瞬間に見たとしたらそれはモバイルからのアクセスに違いない。
完全にモバイルに最適化する必要はないかもしれないけど、少なくともモバイルで快適に見られないサイトは作ってはいけない気がする。

2012年3月18日日曜日

2012年3月18日

responsive web designというのが軽く流行りだけどあれは実装のしかたにかなり注意がいる気がする。
たとえばちょっと気まぐれにブラウザ幅を変えた時に、レイアウトが大きく変わると、サイトの使い方を学び直さなきゃいけなくなる。二度目に訪れた時にたまたまブラウザの幅が小さいと別のサイトに来た感じになる。あれはなんとなく気持ち悪い。

iPadやモバイル端末などのブラウザ幅が完全に固定される環境とか、入力方法が異なる環境向けに別CSSを用意する方向はいいと思うんだけど。

ブラウザの幅が可変な環境で、ブラウザ幅に合わせてのレイアウト変更を勝手にするというのは個人的には気持ち悪い。ナビゲーションに関わる部分は特にそう。

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しかし新しいiPadを見てても思うけど、今後一体どのデバイスに向けて最適化していったらいいものかっていうところは本当に悩ましい。特に写真などのビットマップデータ。

OS側の対応次第ではあるのだけど、今後iPadクラスの液晶がノートパソコンに乗っかってくることはあり得る流れで、そうなるとどうしても高解像度環境でも美しいものを作る必要が出てくる。

ディスプレイ解像度に依存しないように、となるとSVGやCSSを使ったベクター志向のデザインなんかもまた広がりそうな予感もする。


UI設計的にも、Win8の様子など見ているとタッチパネルでも見られることを前提にしないといけない状況になってきているのは確かという気もするし。


さてどうなるだろう。とりあえず前に企んでた企画の件もあるし、SVGについて経験値を稼いでおいてみようかな。

2012年3月17日土曜日

2012年3月17日

今日ふと見かけたリンクをクリックしたら、伊藤計劃氏のはてダにたどり着いた。伊藤計劃氏はご存じの方も多いかもしれないがすでに亡くなっていて、当然其のはてダの記事も2008年のもの。古いなぁ、と思いながら読み進めるうちにその「古いなぁ」という感覚に違和感を感じた。

情報の新しい古いというのは、情報の価値を判断する上で確かに一つの大事な要素であるのだが、それは数多くある中の一つのパラメータでしかない。
たとえば2012年の時点で2000年に書かれた誰かの記事を見たとする。それは確かに古い記事だ。だが、古くても有用な情報というのはいくらでもあるはずではないか。

日記、Blog、Twitter、Facebookなどに投稿される記事は、(それを書いた本人にとってはともかくとして)それを受けとる側の人にとっては、最新の投稿、最新の記事にこそ価値があるように感じられる。
そういう印象をどうしても与えてしまうフォーマットだ、という気がする。
だからこそ余計に、書き手にも最新のものこそ重要というフィードバックもかかってリアルタイムを志向する。そういう側面がもしかしたらあるのだろうか。

今想定している理想的な状況を作り上げるには、多分まずは「書く環境」から刷新していく必要があるのだろう。

2012年3月14日水曜日

2012年3月14日

hostsを書き換えて一時的にTwitterアクセス禁止にしてみている。本当はfacebookもそうしたかったけど仕事の都合でそうできないのが残念。

止めてみて思うけど、これはそこまで大事なものではないのかもしれないなと思う。

やはりこれまでノイズも多かったし、どう考えても情報の過剰摂取だったし、考えなくてもいいことを考えることが多かったような気がする。

そういえばちょっと前に空腹状態を長く続けると細胞が活性化するだかなんだかで老化が止まるとかいった話を読んだけど、情報なんかも多少飢餓感があるくらいで維持するのがいいのかもしれない。たとえばイスラム教の断食にならって情報の摂取を日の出から日没まで止めるようなことをやってみるのも面白いかもしれない。





自分が書きたいもの、読みたいものはどうやらやっぱりこういうものじゃない。
だから自分が書きたい場を作るために簡単なWebサービスでもひとつ作ってみようかと思う。


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まとめサイトでまとめられないと一つの流れとして成立しない時点でそれはそこに書くべきことではないのにそこで書かれていることに何かを感じるか感じないか。

2012年2月17日金曜日

2012年2月17日

Gumroadが微妙に話題だけど、なんかまだ足りない感じ。
現状、決済云々じゃなくてDL〜鑑賞の流れがめんどいのが問題で、決済した瞬間に自分のライブラリに入って自分のもつ全てのデバイスで瞬時に鑑賞できるところまではとりあえず到達したいものだと思うわけです。

というかファイルの所有という発想を前提とするのはそろそろ古くなる気がしていて、とするとファイルのダウンロードを前提とするものではなく、ファイルへの継続的アクセス権限を管理する方向のGumroad的なものを作ることを考えてみる、というのはちょっと面白そうではある。

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「議論」はリアルタイムである必要がないし、オープンに全てを行う必要もない、というか、不特定多数の人の間で行われる議論については、いかにして「それた」話を無視するかが大事そうだし、話しの流れを整理して編集する人間が必要だったりもする。

コメント機能をつけずに「感想はメールで」にする→いいものをフィードバック、というのは実は正解に近いのではないかという気がしているのでそれに近い形の議論ができるといいのかどうだろう。

2012年2月6日月曜日

2012年2月6日

ほぼ日研究:
・トップは/index.htmlだけど扉ページでコンセプトを書くくらいであまり意味ない
・メインのトップは/home.html
・著者/タイトル/日付をキーにしたインデックスがある
・home.htmlは日々更新。ポータル的位置づけ。
・最近の各コンテンツは/記事タイトルまたは人名/日付.htmlという感じになってる。時期によってちょっと違ってたりもして試行錯誤してる感ある。
・日付をベースにしたディレクトリわけなどしてないのは年をまたいだりする企画もあるからなのかなぁ、とか。
・各月ごとに10〜20本の企画
・ほぼ全体的に静的なHTMLである。storeとかも見た限りはHTML。まあ裏でSSIとか使ってないとは限らないけれども。

・色々見てるととにかく「メールを送る」的なリンクがよくある
・UIで使われる言葉が適度にユルい。いじわるな感じがしない。

・ていうか1998年からやってるんだなぁ…

2012年2月3日金曜日

2012年2月3日

「おーいお茶」のペットボトルを捨てようと思ってラベルをはがそうとしたら、ラベルはがしやすいようにと調整が加えられているのを発見した。
http://www.itoen.co.jp/customer/voice/
つくづく日本の商品のパッケージの過剰なまでの配慮はすごいと思うし、これができる日本人がよく配慮されたいいUIを作れないはずがないと思うのだけどそれができないのは何でだろうな、と思う。

2012年1月31日火曜日

2012年1月31日

編集されたコンテンツというものは、ある特定の目的に沿って編集されるのであるから、評価の軸は
・編集の目的、コンセプトが優れているか
・目的をどこまで見事に達成しているか
というあたりになる。目的・コンセプトの異なるものを同じ場に並べて数字を比較してもそのコンテンツの評価としては正しい評価とは言えない。

なんかブレイクスルー欲しいなぁ

2012年1月29日日曜日

2012年1月29日

※適当な思考実験中。

・機械的なアルゴリズムで作られる順位は操作する気になればだいたいお金の力で操作できる
・投下する資本に対して見合うだけの利益が得られなければ操作は行われない
・操作が行われる場合は相応の利益の回収が見込まれるものである必要がある
・マス(ある程度規模の大きな顧客の獲得が期待できるもの)に対してPRできるようなものに資本が投下されやすい
・マスにアピールするようなもの=たいてい無難で面白くない
・というかそんなことにお金をぶち込む余裕があるようなものが面白いか?

・SNSなどの口コミが居心地いいのは、そういうマス広告的なものの影響を小さくできるから。
・どんなランキングより信頼できる人の情報がなんだかんだで一番信頼できる。

ランキング的なものの純度や精度を顧客満足度的な部分にフォーカスを当てて最大化させるにはどうするか。

・お金をぶち混むことで操作することにかかるコストを上げる→多分うまい方法が編み出されて潰される
・広告的なものに対するペナルティ→判別不能&同上
・結局SNS的なものやパーソナライズドしていく方向など、個々人の信頼に基づく情報のやりとりが一番優れている
・が、個人も買収される(ステマとかあれこれ)
・ていうかまあ、がんばって有名になった人がそういう事で利益を得るのはある意味当然の帰結。
・結局世の中の情報はお金によってコントロールされているという諦めムードに?
・いやいやいやいや
・続きはまた今度

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引き続き最近のWebが気に入らない試論

・とりあえずソーシャル化することで、その人の周辺にしか意味のない情報がクローズドになることは良いことであるということに気づく。たとえば「今どこにいる」とか「今何食べてる」っていう情報は、その人に近しい人にとっては意味があるし価値のある情報であるが、それ以外の人にとってはどうでもいい。ある人の周辺の人にしか意味のない情報が、周辺の人の間で閉じたWebに収納されていくのはいいこと。
・オープンな場所にあってしかるべき情報と、クローズドな場所にあってしかるべき情報というのがあって、それが双方、望ましい形で格納されていくのがいいWebってやつなのかな。
・自分は多分オープンなWebのほうにいかにグレイトな知識や情報を引きずりだして正しくわかりやすく編集して格納するか、といったあたりに興味がある。
・非ソーシャル的でありたい。