2013年12月29日日曜日

2013年12月29日

なんというか、今のWebには敷居の高い場所というのがもう少し必要、というか、
そろそろ有料のSNSとか作ってもいい頃なのではあるまいか、みたいなことを考えてみたりしている。

2013年11月25日月曜日

2013年11月25日

http://slashdot.jp/journal/568446/JSARAC%E3%81%8CMIDI%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81%97%E3%81%9F%E8%AB%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%B2%E3%82%82%E8%A7%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%BF%E3

これについたコメントを読みながら、「ああ、MIDI文化ってそういえばオープンソースコミュニティに近いものあったなぁ」っていうことを思い出したりしていた。

当時MU128というYAMAHAの音源で打ち込みなどやっていて、どこかで入手したグラディウスの曲だったかを打ち込んだMIDIデータがめちゃくちゃいい音で感動してひたすらMIDIデータ見てた事があった。優れた技をソースコード的なものを通して学べるっていうことは貴重だったし、いい経験だった。

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そんなやりとりがJASRACの動きによって阻害された、っていう感じはやっぱりあって、そりゃ自由にやりたいところに五月蝿いこと言う人がしゃしゃり出てきたら文化っていうやつの熱量は一気に冷めるもので。

もちろん著作権というものをないがしろのしたいわけじゃないんだけど、なんかもうちょっと上手いやり方はなかったものなのかなというのは今でも思っている。

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うーん、オープンソースな音楽というのはやっぱりいつかやりたいなぁ

2013年11月2日土曜日

2013年11月2日

嫌儲っていうのあるけど、あれって結局儲けることそのものが嫌だとか嫉妬とかする人はそんな多くなくて、どちらかというと儲けに走る奴がたいてい面白くないことをするので、その「面白くないこと」に対する嫌悪感なんだろうなと。

儲けに走る人々というのはほんとに面白くないことをするし、
面白くない事をするだけならまだしも、もともとあった面白いものを蹂躙して破壊するようなこともよくするので。
それに対する防衛本能として嫌儲というムードがあるんだろうなと。そんなことをふと思ったりした。

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OSXのトラックパッドのスクロール方向が逆になったのは納得できてるのだけど、その設定をONにした時にマウスのホイールのスクロール方向が一緒に逆なるのがMarverickになっても設定で変更できるようになってないことだけは納得できない。

2013年10月28日月曜日

2013年10月28日

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131026

用語の定義を正しく共有しようとするっていうのが議論の最初に必要なことなんだけど。
しかし設問がひどい気もするというかなんというかげふんげふん

ギャンブルっていうのは「賭け」のことで、「賭け」というのは「運」のような不確定な要素によって結果の決まる何かに、リターンを期待して大事な何か(たとえばお金)を注ぎ込むような行為のことかなーと思うわけですが。

なので不確定要素があるものは全て「ギャンブル性」を持っていて、ゲーム/行為によってその「ギャンブル性」の多寡がある。

サイコロ振って奇数が出るか偶数が出るかを当てる、というのは(サイコロに何かの仕掛けでもない限り)完全に運任せなので、その結果によって金銭が増えたり減ったりするのはそれは純粋にギャンブルで、
一方、ポーカーや麻雀は優秀なプレイヤーならば、状況によって勝つ確率を上げることができるので、ゲームとしてギャンブル性が下がっていく、みたいな話

って試しに書いてみたけどマジでつまらないなこの話。反省。

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http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3095.html

才能、というか生まれつきによって能力に違いがあるっていうのはもうそろそろ受け入れられてもいいと思うんだけれども。
それこそ身長とか体格とか、外見がこれだけ生まれつきちがっているのに、生まれ持った能力とか才覚が全く同じで努力次第でどんな人でもトップアスリートになれるとか思うのはさすがに考えの筋が悪い。
男女の違いも生まれながらに持ったものの違いも受け入れたほうが色々うまくいくと思うし、自分の生まれ持ったものが一番活かせる場にどうやってたどり着くか、そういうことを考えて努力するほうが少なくとも人生は良い方向に向かいそうに思う。

2013年10月16日水曜日

2013年10月16日

個人的な興味で色々調べものをしていて、
結局Webにそんなに情報って蓄えられてない、というか、
きちんと体系的にびしっと整理されているものがそこまで多くない、というか
多分全部まとめれば相当な情報量なのだろうけど横串通ってないというか
なんだかんだでお金出して本買ったほうが早いな、という事が最近本当に多い。

結局1ページ/1記事をインスタントに消費するのに最適化されすぎてて、
体系立てて編集してまとめるノウハウや仕組みも
体系立ててまとまった記事を読むUIも
何もかも不十分なのかなぁとそんな事を思いつつ。

ほんと最近、本買って読んでるほうがWeb見てるより面白いなぁと思う。
好奇心が正しく満たされる感じというか。
ま、お金出して読むものと無償で読んでるものを比べる事自体が間違っているといえばいるし、単純に自分が今調べているのが世間的にマイナな領域なので、というのもあるのだけど。

とか言いつつ、そういう本の情報を探す上ではネットっていうのは便利だなぁとも同時に思っていて、なんというか適材適所。

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またフォーカスしたい分野が少し動きそうな予感がしている今日この頃。

2013年9月10日火曜日

2013年9月10日

Webにここまで情報が乱雑に大量にあると、それをもっともらしく編集し(まとめ)て人をミスリードしたりダマしたりするのも容易だなぁと思うわけで。

もちろん読み手が賢くなって自衛すればいいといえばいいのだけど、それができるのはやっぱりある程度賢い人じゃなきゃ無理で。

Webにアクセスするのが当たり前になって、誰もが当たり前に触れる情報源になっている今、そういう「賢さ」をアテにするような仕組みは全然スマートじゃないと思うし。

各Webページの「信頼性」「質」みたいなものを誰もが正確に把握できるようになるか、あるいは信頼性の低いページが目に入らないようにするような何かいい方法はないものか、ともやっと思いつつ、

しかしそもそもその信頼性とか質というのは一体なんなんだろう、という点でまたもやっとしている、そんなもやっとした午後。

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三人寄れば文殊の知恵というけど、賢い人が三人寄って出てくる知恵と普通の人が三人寄って出てくる知恵ではやっぱり出てくる知恵が違うと思うし、
群衆の叡智とかいうやつは、優れた叡智を持った人間の割合の多い群集のほうが、確率論的には優れた叡智が生まれやすいのだろう。

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情報発信のハードルの高さはある程度必要かもしらんね。

2013年9月9日月曜日

2013年9月9日

物事を悲観的に捉えることは意義のあることではあるのだけど、悲観によって得た気付きを契機に改善を生み出さないならそんな悲観には意味がない。「仕方ない」に抗う気持を忘れてしまってはよいデザインやよい企画なんていうものは生まれないし、愚痴るヒマがあるなら手と頭を働かせて何か一つでもアウトプットするのが正解だ。

改善というのは常識だとか惰性だとか色んな物に抗うことであって知恵もエネルギーもたくさんいる。だからこそそれを押し通し実現できる人間というのはカッコイイ。

2013年8月12日月曜日

2013年8月12日

Twitterで「うちらゎ」で検索すると違う世界が見えるというtweetがあったので検索してみて、なるほど確かに違う世界が見えた。
ふと思い立って「ゎ」で検索したらそれとだいたい同じ世界が見えたので、自分の中でそちらの世界を「ゎ族」の世界と呼ぶことにした。

「ゎ族」はだいたい若い子で構成されていて、プロフィールアイコンは自身と思われるプリクラみたいな写真で、なぜか友達と一緒に写っているものがよく選ばれているようだ。プロフィールにはこれまで通ってた学校とか今通ってる学校とかクラスとか書いてあり、tweetもかなりパーソナルな内容が多い。

最近ソーシャル・エンジニアリング方面の本など何冊か読んでいる関係もあって、そこに潜在的にあるリスクをいくつか想像してぞっとしたのだけど。

でも、ある程度閉じた人間関係・コミュニティの中で過ごしていた場合、周囲のみんながやっていることこそが「常識」であり、そこを疑うのは難しいだろうな、とも思う。
自分の友達がみんなプリクラみたいな写真をプロフィールアイコンにしていたら、そういうものかと思ってそれに倣うだろう。

自分にとっての「常識」が通用する範囲というのは想像以上に狭い。そういう事を気に留めておくだけで世の中の見え方は結構違ってくる気がする。

2013年5月21日火曜日

2013年5月21日

自分の行動が直情的/インスタントになっているなぁと感じる。

一眼レフみたいな大仰な道具で、写真を撮るぞ、作品を作るぞ、という気持でじっくり撮影をする、とか、推敲に推敲を重ねて磨き上げた文章を仕上げる、とか、そういうことに腰を据えて取り組むのがなんか億劫になっているというか。

一眼レフは重いし持ち出す気にならないからiPhoneのカメラでいいか。
文章をしっかり書いて投稿とか面倒だしアウトプットできなくなるからTwitterでとりあえずつぶやいとくか。
そういうのって、それで得ているものもあるけどやっぱり失われているものもあるように思う。

要するにバランスの問題なのだけど。
インスタントで短期的な快楽の追究ばかりにならないように自分自身もう少しチューニングし直したいし、世間がそういうものばかりにならないようにしたいとも思う。

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facebookのつまらなさについて考えていたのだけど、人間関係の固定に加えて、だいたいアウトプットされてくる情報というのが想定の範囲内に収まる事も面白味の足りない部分なんだろうと思ったりした。

その人の人となりについて自分の知らない一面、というかその人により興味を持ったり、好きになったり関係を深めていくのに意味のあること、が流れてきてほしいし、その流れで双方の知人同士がまたつながっていくようになるならSNSとして意味があるのだろう。

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特定のテーマに基づくコミュニティ系サービスを成功させるには、そのコミュニティに参加するためのハードルは少し高めに設定したほうがよいのではないかと。
登録者数やらPVやら数字が大事なので参加者を増やす意味で参加する障壁は下げる設計のサービスが多い。けど、そういうことするとコミュニティとしての「濃さ」が下がってつまらなくなる。
コミュニティに合わない人の参加を極力避けるにはどうしたらいいか、っていうことについて少し研究してみたい。

…みたいなことを
http://matome.naver.jp/odai/2136901581146809401
これを見ながら感じた違和感に基づいてあれこれ考えながら思ったりした。

Webは参加する人が増えたことによってひたすら大衆化の道を進んでいるだけで、1.0だ2.0だなんて区分けにはあまり意味は無いように思う。

2013年5月9日木曜日

2013年5月9日

最近のAdobeはイケてないな、と思ったのだけど、よく考えてみたらそれは違うのか。
Web屋的視点で言うと、Adobeはもともとイケてなくて、Macromediaの買収でMacromediaのイケてる成分を取り込んでイケてる風になったんだけど、結局中身は元のAdobeのままだったんだね、っていう感じ。

Macromediaはなんとなく「次の世代のWebは俺らが主導していくぜ」っていう感じあったんだけど、Adobeになって以降、世情などもあって色々完全に後追いになってきてる感がある。GoogleとかAppleとかにWeb方面の主導権握られた感のあるMicrosoftと似てるなーってなんとなく思ったり。

しかしなんでもいいけどCreativeCloud、多分ほとんどの人はWebとか印刷とか動画とか、一部のソフトしか必要ないと思うのね。とすると、CreativeCloudをCSのマスコレ相当だってイメージして考えると、ほとんどの人にとってなんか要らない金払わされてる感覚になるはずで、その辺もうちょっとうまいやり方もあったのではないかと。ソフトがいいとか悪いとかは横においといて、ひとまずAdobeは商売がヘタなんだな、と。そんなことをぼんやりと思う夕暮れ。

2013年5月4日土曜日

2013年5月4日

作ってるサービスの設計を変えることにした関係もあって、boilerplate的なものを使ってたログインまわりの実装を改めてゼロからやり直している。

明らかに車輪の再発明的なことではあるのだけど、結局車輪は自分で作ってみるのが車輪を理解するにはよいし、以降のカスタマイズもしやすい。

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しかし登録〜ログインの流れ一つ作るだけでも考えるべきことの多いこと多いこと。

2013年4月25日木曜日

2013年4月25日

値段のついたものを買う、という買い方ばかりしているから普段忘れがちになるけれども、ものの値段、つまり売買が成立する価格、というのは結局のところ売り手と買い手の双方が納得した金額のことであって、それ以外の何物でもない。

だからロゴ制作が5,000円だろうが無償だろうが、双方納得の上でその金額だったら何一つ問題はない。
適正価格は人によって違うし、タイミングとか状況とかそういうものによってもだいぶ違う。自分だって5,000円で割に合うと思えば5,000円でロゴを作ることだってあるだろう。


買い叩かれる、みたいなことを言う前に少なくとも自分の提示した価格で相手が納得できるだけの説明はしなくてはいけないし、同時にその説明が説得力を持つようなものをきちんと作っていくのが筋というものだと思ってる。

2013年4月19日金曜日

2013年4月19日

SNSだのBlogサービスなんていうものはいつかは止まる。
自前のサーバにOSSのCMSなど入れて運用してても運用コストが見合わなくなったら放棄される。
結局のところWeb上で超長期的に情報を残していく事を考えると、静的サイト/コンテンツに勝るものはないのではないか、というのが暫定的結論で、なのでこのところ静的サイト/コンテンツをいかに効率よく作るか、そこからどうやって収益をあげられるか、みたいな研究をこのところ地味にやっているわけです。

2013年4月9日火曜日

2013年4月9日

SNSっていうのはだいたい一定の時間が経つとコミュニケーションを取る相手が固定されてくる。また、人間関係もそんな急激に広がったり変化したりするものでもないので、SNSそのものの新鮮味が楽しめる間はともかく、ほっておけばどうしたっていずれ新鮮味というのがなくなってきて飽きてくるものなのでありましょう。

だからもうちょっと強制的に人間関係を変化させるようなエンジンなどを積んでみると面白いのかもしれないけどまあどのみちやっぱり飽きるのだろうし。

そろそろ次のSNSが出てきてもいい頃なんだけどね。

2013年4月6日土曜日

2013年4月6日

お金にしても技術・スキルにしても、
それを多く持つ事は選択可能な選択肢を増やすことで
つまりこれは自由を得るための闘争なのだよ
という感じにするとお金とかスキルを得ようとすることがちょっとかっこよいので
そういう感じで考えておこうと思います。

2013年3月6日水曜日

2013年3月6日

マーケティング的なことって、ある意味では「人のせいにする」ってことだよなぁってふと思った。
いやどうだろう。

2013年3月5日火曜日

2013年3月5日

男女の違いについてやや医学的・科学的アプローチで書かれた本を読んでいて、「女性は男性の2倍の会話をしないとストレスになる」「ピンク色の微妙な違いは女性はものすごく敏感。それは赤ちゃんの顔色の違いとかそういうところから赤ちゃんの具合などを正確に読み取るため」とか「男性と女性でパートナーに求めるものが結構違う」とか色々面白かった。

結局のところ、男女平等だのなんだの言うけど、性別の違いは本能や機能の点でかなり大きな違いを生んでいて、得意な事も求めるものも何もかもが男女で結構違うのはもうどうしようもないことなのだなぁと思う。

男女お互い気持ちよく生きていくためにはそこを理解して、適切な役割分担をしていくほうが互いに満足度は上がると思うし、男女平等、というのを男性と女性が同じ事をする(させる)ことだと思ったりするのはだいぶ間違っている気がする。

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正直、↑の本を読んでいて義務教育レベルで教えるべきことに「男女の生物学的な違いと、そこから派生するコミュニケーションや思考、嗜好の違い」みたいなものを加えたほうがいいんじゃないかと思ったし、それ以外の事についても、今この状況で、義務教育で教えるべき内容が自分の子供の頃学んだものとは違うものな気がするので、その辺補える何かを作ってみたい気がする。

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facebookって、
・メールやメッセ的なやりとり
・twitterTL的なもの
・プロフィール
が要素としてあるんだけど、そのどの実装もアホみたいに中途半端だよなぁと思う。

2013年2月16日土曜日

2013年2月16日

広く公開される場所に何かを書くということは
必然的に誰かの何かしらのリアクションを期待することになるんだなぁと。

それがいいフィードバックになって自分の努力とか何かをよくするほうこうに結びつけばいいのだけれども、必ずしもそうはならないのが難しいところなのだな、ということをなんとなく思ったりした。

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このブログは多分誰も見てない、という前提なので、適当な思いつきを自由に書けるし後で読み返しても自分にしか多分役に立たない。それがいい。

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集団の中で目立ち、耳目を集めるためにはたとえばただ声を大きくすればいい。
最近、Webであれこれ見ているとそうやって声を大きくしようとする人が多くてパチンコ店の店内みたいな喧騒の中にいる心地がすることがある。

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VOCALOIDが使われることによって歌い手でなく曲の強さや作り手に意識が向いたように、実名よりも匿名のほうが、発言の内容如何のほうに意識が向くような気がするのは気のせいか。

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分人主義、っていう考え方は面白いね。


2013年2月11日月曜日

2013年2月10日

facebookの何が気に入らないのかとずっと考えているのだけど、
要するにずっとスパムメールが山ほど届いていてでもフィルタリングなどの対策ができないような感覚、というか、なんかそういう事なんだなーと思ったりもする。

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↑のこと考えながらふとメールのやりとりを完全にオープンな場で公開書簡みたいな感じでできるようにするっていうコンセプトのサービスをもやっと考えたけどなんだろうねこれ。

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主に自分用の日記を書くサービスを地味に作っているのだけど、カレンダーはこういう表示だとどうだろう、と試してみたカレンダー表示が思いの外しっくりきたので嬉しい。
スケジューラのような未来のものを扱う場合のカレンダーと、日記のように過去のものを扱うカレンダーはやっぱりちょっとだけ違っていていいんだな。

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Backbone.jsなどあれこれいじりながら、やっぱりサーバサイドであれこれ組むよりクライアントサイドで出来る限りの事を全部やってサーバサイドを極小化したほうが自分としては組みやすいし何より作るのが楽しい、っていうことを再認識してる。
実際に動いてて見た目も良い感じのものが早い段階でできあがらないとやっぱり飽きるし、完成させるモチベーションが維持しづらい。

というかそもそもFlashメインだった頃からそういう「動くものをできるだけ早くつくる」っていうのが自分にとってはすごく大事だったなぁと。サーバサイドめっちゃがんばらないとどうにもできないかと思ってたら時代がこっちに流れてきたようでちょっと嬉しいかもしれない。

とりあえず今年はきちんとJSを極めます。

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しかしこの流れ、かつてFlash界隈で頻発したデザイナーとエンジニア間の分業についての議論など起こるのかな、というかもう起こってたりするんだろうか。

2013年2月5日火曜日

2013年2月5日

ここ数日backbone.jsやらunderscrore.jsやらrequire.jsやらmustacheやら何やらをじっくりいじっている。
何がしたいかというと、サーバサイドを出来る限りシンプルにして、いわゆるMVCのVとCのあたりをできるだけクライアントサイド側に持ってくるような実装って今どういう感じなのか、というのを体験しておこうというのが主な目的。

やってて思うのだけど、現状、クライアントサイドファーストな実装というのがわりと理に叶ってる、というか非常に自分好みな作り方だなぁと思う。

JSのObjectでデータのモックアップを用意して、動作を確かめながらクライアントサイドを作る。そこでデータ構造なども詰めてからサーバサイドにAPIを作る、みたいな流れだと実際動くものが早くできるしサーバ側も最低限の作業で済みそう。もちろん作るものによってそういう作り方が合う/合わないはあるとは思うけど。

サーバサイドは今や山ほどサービスあるし、日進月歩で状況もどんどん変化してる。一方、クライアントサイドだけはどうやっても自分で作らなければしょうがない、とするならば、さっさとクライアントサイド作ってからそれに合うサーバサイドのサービス選ぶのもアリかも。

2013年1月14日月曜日

2013年1月13日

エロいものがあまり世に溢れるとそれでなんとなく満足してしまって「モテたい」に基づく様々な強烈なエネルギーが消失してしまって世の中がなんとなく萎れていくんじゃないかということをふと思ったので(恋愛などを通して得るべきものを擬似的に安易に叶える種類の)えっちなのはいけないと思います。

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『猫とかアイドルとかそういうところで自分の母性やら父性やらを無駄遣いするな』

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インターネット、に限らず本にしても写真にしてもそうだけどつくづくこれは脳の外部化、あるいは自己保存の延長線上の何かだなぁと思うわけで。
仮にインターネットが巨大な脳だとするならば、最近はちょっといくらなんでも整理せずにあれこれ詰め込みすぎなんじゃないかと心配になる。山のように重複した情報あるし、いくら容量があってもこれでは…と思う。
が、実際の脳のほうも見たものとか全部記憶して必要なものだけ取り出しやすくして他を忘れていくみたいな話もあったような気がするし似たようなものかもしれないし、どうやって「忘れていく」のがいいか、という視点で考えてみるとまた別の様相が見えてくるかもしれない。