左の鎖骨を折ってしまい、左手に力が入れづらい感じになってしまった。
こういう時に限って冷蔵庫には食べ物のストックなどがあまりなく。
牛乳など色々欲しいのだけど、買いに行くのを想像すると、片手で買い物するのはそれなりにハードル高いなぁと思って躊躇していたところ、「ネットスーパー」というもののことを思い出した。
前に風邪を引いた時に使おうとした時は、数日後にならないと届けてもらえない感じだったので使えず、やむなくげほげほ言いながらがんばって買い物に出たものだけど、今回は今日中に届くみたいだったので早速注文。
届いてみると、「ああ、これは便利だなぁ」という域を超えて「ありがたや…」という心地になった。
食べ物のようなライフラインに近いものが、身体的な事情などで買い物に行けない状態になったときにも、普通の人と同じように手に入る。これはなんとも豊かなことだなぁとしみじみと思ったりした。
豊かな社会というのは、かように弱い立場の人も豊かに暮らせる場のことなのであろうし。
こういうふうに「ありがてぇ」って思われるようななにかを作りたいものです。
その他にも、左手が使えないことで、両手が使えることがいかに便利かを実感してみたり、色々な経験ができていて、鎖骨一本折るくらいでこういう経験できるなら安いものだと思ってしまっているあたり、自分も何かの病気だなぁとつくづく思う。
2014年12月19日金曜日
2014年12月13日土曜日
2014年12月13日
たとえば「最先端」で検索してみたら、
見つかったページに書いてあることが「数年前における最先端」であった、
というようなことがよく起こる。
Webに蓄積された文書が多くなればなるほど、outdatedなものが有用なものとして検索されてしまう確率が高まるよなーと思うにつけ、
そろそろ別な発想のインプット〜アウトプット〜検索の仕組みが必要なのだろうなぁと思うのだけど
具体的にどうしたらよいかはノーアイデアである。
見つかったページに書いてあることが「数年前における最先端」であった、
というようなことがよく起こる。
Webに蓄積された文書が多くなればなるほど、outdatedなものが有用なものとして検索されてしまう確率が高まるよなーと思うにつけ、
そろそろ別な発想のインプット〜アウトプット〜検索の仕組みが必要なのだろうなぁと思うのだけど
具体的にどうしたらよいかはノーアイデアである。
2014年12月2日火曜日
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