2015年1月27日火曜日

2015年1月27日

出会い、的な観点からいくと、facebookやLINEは完全なpost出会いツール(知り合ってから繋がって関係を維持する場)で、twitterもそうなりつつあり、SNSと呼ばれるサイトはだいたいそういう感じになりつつあり。
「興味のあることをする中で人と繋がっていく」的な、pre出会いの場っていうのは今のWeb上だとどこだろうなぁ、ということをぼんやりと考える。

2015年1月17日土曜日

2015年1月16日

http://f-shin.net/fsgarage/2691

なんだかすごい違和感を感じるんだけどいまいちうまく言語化できずにいる。

ひとまずwarezなどの世界は公知になったから死んだのではなくて、ブロードバンドの普及だとかP2Pソフトなどの台頭によって完全に不要になったから死んだだけだと思う。

アングラ的なものが陽の目を浴びて普通の人がやってきて潰されるなんていうのは今も昔もネットがあろうがなかろうが起こってきたことで、その時間的な流れがネットの普及により多少早くなったりはあるかもしれないが危惧を抱くような事象ではない。

心配しなくてもアングラ的なものに居心地のよさ、楽しさを感じる人はそういうことが起こる頃にはその場を撤退して次の面白いもの・場を探すか作るかしている。そういう例をいくつも見てきている。

個人的には「多くの人がネットリテラシーを持ち、共有すべき情報を選別し、いらん情報はグローバルなネットに出さないというのが望ましい方向であり正論」だなんてことは全く思わない。

自分は多様性こそが正義であり、メインストリームからアンダーグラウンドまで、良質な情報が誰でも触れられる場所にあり適切な人のもとに届く、そういうWebを志向しているので、それを阻害するなら良識なんてものはクソクラエだと思うし、ただひたすら問うのは公開される情報の「クオリティ」だけです。

ここ数年についていうと、Webに公開される情報は、情報のアウトプット場所が適切じゃなかったり、情報の量や質が不足しているものの割合が大きく、騒動になるもの含めて全体的にただただクオリティ低杉、という感想です。