2011年5月14日土曜日

2011年5月14日

とある電子書籍系サービスの新しいブックリーダ的なものが公開されていて、その内容は「綺麗に縦組みできるようになってきてるよ!」というものだったわけですが。
正直、PCの画面上で見る縦書きの文章というのはなんというかすごく違和感があって、個人的には非常に読みづらかったし、内容が全く頭に入ってこなかった。

現状、PC上で読む文章というのはほとんど横組みだし、UIも左から右という視線の流れを前提に組み立てられている環境の中で生きているわけで。その環境で果たして縦書き、というのはあるべきものなのか、いいものなのか、優れたものなのか。

なんで縦書き?と尋ねると、組版などに関わる人はきっと「そっちのが読みやすい」という答えを出してくると思う。まあ、古くから日本の文字は縦書きが前提のものだったし、実際、特に本文組に適していると言われるような日本語フォントは、縦書きにしたほうが流れも良くきれいで読みやすい、というのは認める。

ただ、それは文章にひらがな、カタカナ、漢字と、あとはせいぜい数字が入るくらいだった時代の文章ではそうだったかもしれないけど、今のようにわりと日常的に書く文章の中にアルファベットが多く含まれている時代を前提にすると、どうだろう。アルファベットが含まれた途端に縦書きはものすごく読みにくくなる気もするし。

実はもうとっくに縦書きなんていらないんじゃないか。もしかして、もしかする。

2011年5月12日木曜日

2011年5月12日

「本の未来」みたいな話を読んでいて思ったのだけど、電子書籍だなんだとかいう以前に、そもそも本ってなんなんだろうね。
物語や情報を伝達する手段として、今自分たちのイメージする印刷物としての本の前には写本だとか木簡みたいなものがあって、そこからさらにの前には口伝があって、そこからさらに遡ると言葉の発明がある。ってことは、多分まあ、本という形はこの時代のテンポラリなもので、別に本という形式でなくては物語を伝達できないわけではないのだろうし、まだまだ変化していくのだろう。

本が物語を伝えるためのひとつのコンテナ形式であるとするならば、音楽が楽譜→レコード→CD→データと形を変えていったように、物語を運ぶコンテナは人々が便利だと思うものに必ず変わっていくはず。

結局、デジタルデータ化された物語と、紙の上に印刷された物語の間には、ただ単にそれが摂取しやすいかしにくいかくらいの違いしかない。現在本のほうが好まれやすいのは、単に今、音楽におけるiPodのような便利な情報摂取の仕組み/デバイスがなく、利便性や好みの問題で紙ベースのものが優位なだけなんだろうと思う。

多分、紙の本か電子書籍か、という戦いではなく、紙よりも便利で好ましい何かを作れるか否か、という戦いなんだろうし、この戦いはこの先もずっとずっと続くんだろうね。

2011年4月16日土曜日

2011年4月16日

ふと思ったのだけど、ソフトウェアのアップデートを促すダイアログは、ソフトウェア起動時ではなくソフトウェアの終了時に出すべきではないか。
というのは、ソフトウェアを起動した瞬間というのは何かしら行いたいタスクがある時であって、そこでアップデートの手続きを入れることで、タスクに向かっていた関心や集中を奪うことになるから。ソフトウェアの終了の時であれば、タスクとしては完了しているので、その後にアップデートのタスクが挟まったとしても大きな影響はない。

いや、っていうかまあ、どこかに通知だけさりげなく出して、好きなタイミングで更新できるようにしたらいいのかな。ついでに言えばそんな余計なダイアログとかなしにさっさとバックグラウンドでアップデートしてしまってもらっていっこうに構わない場合も多い気もするのだけどね。

2010年12月29日水曜日

2010年12月29日

大前氏 アップルは失敗繰り返しアンドロイドに負けると予測
http://www.excite.co.jp/News/world_g/20101228/Postseven_9051.html

勝ち負けの基準が「シェア」だというならそうだろうけど、その基準は何か意味があるのだろうか。企業が得なくてはいけないのは企業規模に対して必要十分な利益、であって、必ずしもシェアではないだろうし。

数がとれればいい、っていう考え方は、もうそろそろ終了でいいと思う。

2010年12月6日月曜日

2010年12月6日

ネット以前はコンテンツを広く多くの人に配布しようとすると、CDや本などの物理的な媒体を作らなくてはいけなかったために、大きなリスクを背負い込まなくてはいけなかった。だからこそ出版社というものが企業としてリスクを負って、大きなお金を動かして売る事に意味があったし、リスクを大きく取っていたのが企業であったのだから、お金の配分にしても作家側よりも企業側が有利になる構造になるというのも妥当であった。

ネット以降は、配布におけるリスクを徹底的に最小化することが可能になってきているし、配布コストも限りなく下げていく事が可能にはなっている。そうなると、企業というものが間に入る必要はかならずしも、ない。

こういう背景を下敷きにすると、コンテンツを作ることのできる人の立場というのは強くなっていきそうだし、権利関係の交渉ごとなどの場でも以前と比べればかなり強気に出られるようになっていくんじゃないかな、というのをJコミの件などあれこれ見ていて思った。

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ライブハウス方面を面白くする方法:
常に必死になってよりよいバンドを見つけてきて集客もしていかないと確実にライブハウスがつぶれるような仕組み/ルールを作って追い込む

2010年11月29日月曜日

2010年11月29日

少し前にカンブリア宮殿に宝島社の社長が出ていて、電子書籍について「取次や書店といった流通~プロモーションのためのすばらしい仕組みがあるわけだし、書店の人、流通の人などを裏切る行為なので今のところはやらない」というような事を言っていたのが印象的だった。

実際、書店網というのはすごいプロモーション力のある場だと思うし、また、個人的に(本ではなく音楽方面だけど)「対面で販売できるデジタルデータ」というのは何かいい手段がないものかということをここのところよく考えていたので、ちょっと思考実験的に「書店で売る電子書籍」というのを考えてみる。

多分、電子ペーパーと無線通信モジュール的なもののコストがぐっと下がりつつ品質がぐっと上がれば、結構人に優しい面白い仕組みが作れそうな気がする。

たとえば、本屋の棚にひたすら大量の電子ペーパーを並べる。それぞれがひとつの種類の雑誌/本の表紙をデフォルトで表示する。手にとって操作すれば中身を好きなように立ち読みできる。
また、どうしてもほかの書籍が読みたい場合は電子ペーパー上で検索などして別のものに切り替えることもできる。棚に戻すともとの雑誌/本に戻る

その電子ペーパーは、店外に持ち出すと一切機能しなくなる。
外で読みたい場合はレジで購入して、自分の持つ端末にDLするか、もしくは手持ちがなくてすぐ読みたい場合は店頭にあるレンタル端末を借りてそこにDLして読む(購入したものは個人のアカウントに紐づけられるので、別の端末でもログインすればDLして読める)

店頭の各電子ペーパーに表示するものは、店主が自分のセンスで決める。また、雑誌などは自動で最新号に切り替わる。

みたいな。同様の仕組みが図書館なんかでも使える。流通の部分は綺麗さっぱりなくなるのだけど、今の書店というインフラや環境のもつよさをできるだけそのまま移行しつつ、万引きの問題や本の整理などの手間を最小限にするという点である意味面白い、かもしれない。いやわからない。

2010年11月27日土曜日

2010年11月27日

googleの音楽サービスがレーベルの消極姿勢により立ち上がり遅れてるというのを見て急に脳裏にふと湧いてきたのでメモ。

コンテンツ販売で一番リスクを負ってるのは当然作ってる側つまりレーベル側。
Amazonのような小売りマインドのあるところはともかくとして、iTSのような単に場を提供しているだけに近いプラットホームの場合は、本来はレーベルが出店を出しているようなもの。とすれば、なぜあそこまで価格が統一される必要があるのか相当に謎。レーベルが自由に価格を設定して工夫する余地が多くないとレーベル側も戦略を練ったりデータを集めたり経験値を集めづらいはずなのだけど。また、たとえばあえて単価を高くするとか、妙に安くするとか、そういった戦略がとりづらく、売れ行きに対して価格のコントロールが硬直化されているというのは、本来得られるはずだった利益を逃しやすい構造な気がする。

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あと、価格が全てのコンテンツにわたってほぼ同じである場合、売る側の取るべき行為は「とにもかくにもできるだけたくさん売る」ことなので、そうすると、できる限り広く一般ウケする音楽こそ正義ということになる。ので、まあ、一部には熱狂的に愛されるようなニッチなものや、挑戦的なコンテンツが非常に作りづらくなり、文化としては停滞しやすいし、あとは楽曲の質などよりもわかりやすい価値を持つアイドルであったり、半ばポルノ的なコンテンツのほうが主流になりやすい。かもしれない。