Twitterで「うちらゎ」で検索すると違う世界が見えるというtweetがあったので検索してみて、なるほど確かに違う世界が見えた。
ふと思い立って「ゎ」で検索したらそれとだいたい同じ世界が見えたので、自分の中でそちらの世界を「ゎ族」の世界と呼ぶことにした。
「ゎ族」はだいたい若い子で構成されていて、プロフィールアイコンは自身と思われるプリクラみたいな写真で、なぜか友達と一緒に写っているものがよく選ばれているようだ。プロフィールにはこれまで通ってた学校とか今通ってる学校とかクラスとか書いてあり、tweetもかなりパーソナルな内容が多い。
最近ソーシャル・エンジニアリング方面の本など何冊か読んでいる関係もあって、そこに潜在的にあるリスクをいくつか想像してぞっとしたのだけど。
でも、ある程度閉じた人間関係・コミュニティの中で過ごしていた場合、周囲のみんながやっていることこそが「常識」であり、そこを疑うのは難しいだろうな、とも思う。
自分の友達がみんなプリクラみたいな写真をプロフィールアイコンにしていたら、そういうものかと思ってそれに倣うだろう。
自分にとっての「常識」が通用する範囲というのは想像以上に狭い。そういう事を気に留めておくだけで世の中の見え方は結構違ってくる気がする。
2013年8月12日月曜日
2013年5月21日火曜日
2013年5月21日
自分の行動が直情的/インスタントになっているなぁと感じる。
一眼レフみたいな大仰な道具で、写真を撮るぞ、作品を作るぞ、という気持でじっくり撮影をする、とか、推敲に推敲を重ねて磨き上げた文章を仕上げる、とか、そういうことに腰を据えて取り組むのがなんか億劫になっているというか。
一眼レフは重いし持ち出す気にならないからiPhoneのカメラでいいか。
文章をしっかり書いて投稿とか面倒だしアウトプットできなくなるからTwitterでとりあえずつぶやいとくか。
そういうのって、それで得ているものもあるけどやっぱり失われているものもあるように思う。
要するにバランスの問題なのだけど。
インスタントで短期的な快楽の追究ばかりにならないように自分自身もう少しチューニングし直したいし、世間がそういうものばかりにならないようにしたいとも思う。
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facebookのつまらなさについて考えていたのだけど、人間関係の固定に加えて、だいたいアウトプットされてくる情報というのが想定の範囲内に収まる事も面白味の足りない部分なんだろうと思ったりした。
その人の人となりについて自分の知らない一面、というかその人により興味を持ったり、好きになったり関係を深めていくのに意味のあること、が流れてきてほしいし、その流れで双方の知人同士がまたつながっていくようになるならSNSとして意味があるのだろう。
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特定のテーマに基づくコミュニティ系サービスを成功させるには、そのコミュニティに参加するためのハードルは少し高めに設定したほうがよいのではないかと。
登録者数やらPVやら数字が大事なので参加者を増やす意味で参加する障壁は下げる設計のサービスが多い。けど、そういうことするとコミュニティとしての「濃さ」が下がってつまらなくなる。
コミュニティに合わない人の参加を極力避けるにはどうしたらいいか、っていうことについて少し研究してみたい。
…みたいなことを
http://matome.naver.jp/odai/2136901581146809401
これを見ながら感じた違和感に基づいてあれこれ考えながら思ったりした。
Webは参加する人が増えたことによってひたすら大衆化の道を進んでいるだけで、1.0だ2.0だなんて区分けにはあまり意味は無いように思う。
一眼レフみたいな大仰な道具で、写真を撮るぞ、作品を作るぞ、という気持でじっくり撮影をする、とか、推敲に推敲を重ねて磨き上げた文章を仕上げる、とか、そういうことに腰を据えて取り組むのがなんか億劫になっているというか。
一眼レフは重いし持ち出す気にならないからiPhoneのカメラでいいか。
文章をしっかり書いて投稿とか面倒だしアウトプットできなくなるからTwitterでとりあえずつぶやいとくか。
そういうのって、それで得ているものもあるけどやっぱり失われているものもあるように思う。
要するにバランスの問題なのだけど。
インスタントで短期的な快楽の追究ばかりにならないように自分自身もう少しチューニングし直したいし、世間がそういうものばかりにならないようにしたいとも思う。
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facebookのつまらなさについて考えていたのだけど、人間関係の固定に加えて、だいたいアウトプットされてくる情報というのが想定の範囲内に収まる事も面白味の足りない部分なんだろうと思ったりした。
その人の人となりについて自分の知らない一面、というかその人により興味を持ったり、好きになったり関係を深めていくのに意味のあること、が流れてきてほしいし、その流れで双方の知人同士がまたつながっていくようになるならSNSとして意味があるのだろう。
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特定のテーマに基づくコミュニティ系サービスを成功させるには、そのコミュニティに参加するためのハードルは少し高めに設定したほうがよいのではないかと。
登録者数やらPVやら数字が大事なので参加者を増やす意味で参加する障壁は下げる設計のサービスが多い。けど、そういうことするとコミュニティとしての「濃さ」が下がってつまらなくなる。
コミュニティに合わない人の参加を極力避けるにはどうしたらいいか、っていうことについて少し研究してみたい。
…みたいなことを
http://matome.naver.jp/odai/2136901581146809401
これを見ながら感じた違和感に基づいてあれこれ考えながら思ったりした。
Webは参加する人が増えたことによってひたすら大衆化の道を進んでいるだけで、1.0だ2.0だなんて区分けにはあまり意味は無いように思う。
2013年5月9日木曜日
2013年5月9日
最近のAdobeはイケてないな、と思ったのだけど、よく考えてみたらそれは違うのか。
Web屋的視点で言うと、Adobeはもともとイケてなくて、Macromediaの買収でMacromediaのイケてる成分を取り込んでイケてる風になったんだけど、結局中身は元のAdobeのままだったんだね、っていう感じ。
Macromediaはなんとなく「次の世代のWebは俺らが主導していくぜ」っていう感じあったんだけど、Adobeになって以降、世情などもあって色々完全に後追いになってきてる感がある。GoogleとかAppleとかにWeb方面の主導権握られた感のあるMicrosoftと似てるなーってなんとなく思ったり。
しかしなんでもいいけどCreativeCloud、多分ほとんどの人はWebとか印刷とか動画とか、一部のソフトしか必要ないと思うのね。とすると、CreativeCloudをCSのマスコレ相当だってイメージして考えると、ほとんどの人にとってなんか要らない金払わされてる感覚になるはずで、その辺もうちょっとうまいやり方もあったのではないかと。ソフトがいいとか悪いとかは横においといて、ひとまずAdobeは商売がヘタなんだな、と。そんなことをぼんやりと思う夕暮れ。
Web屋的視点で言うと、Adobeはもともとイケてなくて、Macromediaの買収でMacromediaのイケてる成分を取り込んでイケてる風になったんだけど、結局中身は元のAdobeのままだったんだね、っていう感じ。
Macromediaはなんとなく「次の世代のWebは俺らが主導していくぜ」っていう感じあったんだけど、Adobeになって以降、世情などもあって色々完全に後追いになってきてる感がある。GoogleとかAppleとかにWeb方面の主導権握られた感のあるMicrosoftと似てるなーってなんとなく思ったり。
しかしなんでもいいけどCreativeCloud、多分ほとんどの人はWebとか印刷とか動画とか、一部のソフトしか必要ないと思うのね。とすると、CreativeCloudをCSのマスコレ相当だってイメージして考えると、ほとんどの人にとってなんか要らない金払わされてる感覚になるはずで、その辺もうちょっとうまいやり方もあったのではないかと。ソフトがいいとか悪いとかは横においといて、ひとまずAdobeは商売がヘタなんだな、と。そんなことをぼんやりと思う夕暮れ。
2013年5月4日土曜日
2013年4月25日木曜日
2013年4月25日
値段のついたものを買う、という買い方ばかりしているから普段忘れがちになるけれども、ものの値段、つまり売買が成立する価格、というのは結局のところ売り手と買い手の双方が納得した金額のことであって、それ以外の何物でもない。
だからロゴ制作が5,000円だろうが無償だろうが、双方納得の上でその金額だったら何一つ問題はない。
適正価格は人によって違うし、タイミングとか状況とかそういうものによってもだいぶ違う。自分だって5,000円で割に合うと思えば5,000円でロゴを作ることだってあるだろう。
買い叩かれる、みたいなことを言う前に少なくとも自分の提示した価格で相手が納得できるだけの説明はしなくてはいけないし、同時にその説明が説得力を持つようなものをきちんと作っていくのが筋というものだと思ってる。
だからロゴ制作が5,000円だろうが無償だろうが、双方納得の上でその金額だったら何一つ問題はない。
適正価格は人によって違うし、タイミングとか状況とかそういうものによってもだいぶ違う。自分だって5,000円で割に合うと思えば5,000円でロゴを作ることだってあるだろう。
買い叩かれる、みたいなことを言う前に少なくとも自分の提示した価格で相手が納得できるだけの説明はしなくてはいけないし、同時にその説明が説得力を持つようなものをきちんと作っていくのが筋というものだと思ってる。
2013年4月19日金曜日
2013年4月19日
SNSだのBlogサービスなんていうものはいつかは止まる。
自前のサーバにOSSのCMSなど入れて運用してても運用コストが見合わなくなったら放棄される。
結局のところWeb上で超長期的に情報を残していく事を考えると、静的サイト/コンテンツに勝るものはないのではないか、というのが暫定的結論で、なのでこのところ静的サイト/コンテンツをいかに効率よく作るか、そこからどうやって収益をあげられるか、みたいな研究をこのところ地味にやっているわけです。
自前のサーバにOSSのCMSなど入れて運用してても運用コストが見合わなくなったら放棄される。
結局のところWeb上で超長期的に情報を残していく事を考えると、静的サイト/コンテンツに勝るものはないのではないか、というのが暫定的結論で、なのでこのところ静的サイト/コンテンツをいかに効率よく作るか、そこからどうやって収益をあげられるか、みたいな研究をこのところ地味にやっているわけです。
2013年4月9日火曜日
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