http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131026
用語の定義を正しく共有しようとするっていうのが議論の最初に必要なことなんだけど。
しかし設問がひどい気もするというかなんというかげふんげふん
ギャンブルっていうのは「賭け」のことで、「賭け」というのは「運」のような不確定な要素によって結果の決まる何かに、リターンを期待して大事な何か(たとえばお金)を注ぎ込むような行為のことかなーと思うわけですが。
なので不確定要素があるものは全て「ギャンブル性」を持っていて、ゲーム/行為によってその「ギャンブル性」の多寡がある。
サイコロ振って奇数が出るか偶数が出るかを当てる、というのは(サイコロに何かの仕掛けでもない限り)完全に運任せなので、その結果によって金銭が増えたり減ったりするのはそれは純粋にギャンブルで、
一方、ポーカーや麻雀は優秀なプレイヤーならば、状況によって勝つ確率を上げることができるので、ゲームとしてギャンブル性が下がっていく、みたいな話
って試しに書いてみたけどマジでつまらないなこの話。反省。
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http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3095.html
才能、というか生まれつきによって能力に違いがあるっていうのはもうそろそろ受け入れられてもいいと思うんだけれども。
それこそ身長とか体格とか、外見がこれだけ生まれつきちがっているのに、生まれ持った能力とか才覚が全く同じで努力次第でどんな人でもトップアスリートになれるとか思うのはさすがに考えの筋が悪い。
男女の違いも生まれながらに持ったものの違いも受け入れたほうが色々うまくいくと思うし、自分の生まれ持ったものが一番活かせる場にどうやってたどり着くか、そういうことを考えて努力するほうが少なくとも人生は良い方向に向かいそうに思う。
2013年10月28日月曜日
2013年10月16日水曜日
2013年10月16日
個人的な興味で色々調べものをしていて、
結局Webにそんなに情報って蓄えられてない、というか、
きちんと体系的にびしっと整理されているものがそこまで多くない、というか
多分全部まとめれば相当な情報量なのだろうけど横串通ってないというか
なんだかんだでお金出して本買ったほうが早いな、という事が最近本当に多い。
結局1ページ/1記事をインスタントに消費するのに最適化されすぎてて、
体系立てて編集してまとめるノウハウや仕組みも
体系立ててまとまった記事を読むUIも
何もかも不十分なのかなぁとそんな事を思いつつ。
ほんと最近、本買って読んでるほうがWeb見てるより面白いなぁと思う。
好奇心が正しく満たされる感じというか。
ま、お金出して読むものと無償で読んでるものを比べる事自体が間違っているといえばいるし、単純に自分が今調べているのが世間的にマイナな領域なので、というのもあるのだけど。
とか言いつつ、そういう本の情報を探す上ではネットっていうのは便利だなぁとも同時に思っていて、なんというか適材適所。
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またフォーカスしたい分野が少し動きそうな予感がしている今日この頃。
2013年9月10日火曜日
2013年9月10日
Webにここまで情報が乱雑に大量にあると、それをもっともらしく編集し(まとめ)て人をミスリードしたりダマしたりするのも容易だなぁと思うわけで。
もちろん読み手が賢くなって自衛すればいいといえばいいのだけど、それができるのはやっぱりある程度賢い人じゃなきゃ無理で。
Webにアクセスするのが当たり前になって、誰もが当たり前に触れる情報源になっている今、そういう「賢さ」をアテにするような仕組みは全然スマートじゃないと思うし。
各Webページの「信頼性」「質」みたいなものを誰もが正確に把握できるようになるか、あるいは信頼性の低いページが目に入らないようにするような何かいい方法はないものか、ともやっと思いつつ、
しかしそもそもその信頼性とか質というのは一体なんなんだろう、という点でまたもやっとしている、そんなもやっとした午後。
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三人寄れば文殊の知恵というけど、賢い人が三人寄って出てくる知恵と普通の人が三人寄って出てくる知恵ではやっぱり出てくる知恵が違うと思うし、
群衆の叡智とかいうやつは、優れた叡智を持った人間の割合の多い群集のほうが、確率論的には優れた叡智が生まれやすいのだろう。
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情報発信のハードルの高さはある程度必要かもしらんね。
もちろん読み手が賢くなって自衛すればいいといえばいいのだけど、それができるのはやっぱりある程度賢い人じゃなきゃ無理で。
Webにアクセスするのが当たり前になって、誰もが当たり前に触れる情報源になっている今、そういう「賢さ」をアテにするような仕組みは全然スマートじゃないと思うし。
各Webページの「信頼性」「質」みたいなものを誰もが正確に把握できるようになるか、あるいは信頼性の低いページが目に入らないようにするような何かいい方法はないものか、ともやっと思いつつ、
しかしそもそもその信頼性とか質というのは一体なんなんだろう、という点でまたもやっとしている、そんなもやっとした午後。
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三人寄れば文殊の知恵というけど、賢い人が三人寄って出てくる知恵と普通の人が三人寄って出てくる知恵ではやっぱり出てくる知恵が違うと思うし、
群衆の叡智とかいうやつは、優れた叡智を持った人間の割合の多い群集のほうが、確率論的には優れた叡智が生まれやすいのだろう。
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情報発信のハードルの高さはある程度必要かもしらんね。
2013年9月9日月曜日
2013年8月12日月曜日
2013年8月12日
Twitterで「うちらゎ」で検索すると違う世界が見えるというtweetがあったので検索してみて、なるほど確かに違う世界が見えた。
ふと思い立って「ゎ」で検索したらそれとだいたい同じ世界が見えたので、自分の中でそちらの世界を「ゎ族」の世界と呼ぶことにした。
「ゎ族」はだいたい若い子で構成されていて、プロフィールアイコンは自身と思われるプリクラみたいな写真で、なぜか友達と一緒に写っているものがよく選ばれているようだ。プロフィールにはこれまで通ってた学校とか今通ってる学校とかクラスとか書いてあり、tweetもかなりパーソナルな内容が多い。
最近ソーシャル・エンジニアリング方面の本など何冊か読んでいる関係もあって、そこに潜在的にあるリスクをいくつか想像してぞっとしたのだけど。
でも、ある程度閉じた人間関係・コミュニティの中で過ごしていた場合、周囲のみんながやっていることこそが「常識」であり、そこを疑うのは難しいだろうな、とも思う。
自分の友達がみんなプリクラみたいな写真をプロフィールアイコンにしていたら、そういうものかと思ってそれに倣うだろう。
自分にとっての「常識」が通用する範囲というのは想像以上に狭い。そういう事を気に留めておくだけで世の中の見え方は結構違ってくる気がする。
ふと思い立って「ゎ」で検索したらそれとだいたい同じ世界が見えたので、自分の中でそちらの世界を「ゎ族」の世界と呼ぶことにした。
「ゎ族」はだいたい若い子で構成されていて、プロフィールアイコンは自身と思われるプリクラみたいな写真で、なぜか友達と一緒に写っているものがよく選ばれているようだ。プロフィールにはこれまで通ってた学校とか今通ってる学校とかクラスとか書いてあり、tweetもかなりパーソナルな内容が多い。
最近ソーシャル・エンジニアリング方面の本など何冊か読んでいる関係もあって、そこに潜在的にあるリスクをいくつか想像してぞっとしたのだけど。
でも、ある程度閉じた人間関係・コミュニティの中で過ごしていた場合、周囲のみんながやっていることこそが「常識」であり、そこを疑うのは難しいだろうな、とも思う。
自分の友達がみんなプリクラみたいな写真をプロフィールアイコンにしていたら、そういうものかと思ってそれに倣うだろう。
自分にとっての「常識」が通用する範囲というのは想像以上に狭い。そういう事を気に留めておくだけで世の中の見え方は結構違ってくる気がする。
2013年5月21日火曜日
2013年5月21日
自分の行動が直情的/インスタントになっているなぁと感じる。
一眼レフみたいな大仰な道具で、写真を撮るぞ、作品を作るぞ、という気持でじっくり撮影をする、とか、推敲に推敲を重ねて磨き上げた文章を仕上げる、とか、そういうことに腰を据えて取り組むのがなんか億劫になっているというか。
一眼レフは重いし持ち出す気にならないからiPhoneのカメラでいいか。
文章をしっかり書いて投稿とか面倒だしアウトプットできなくなるからTwitterでとりあえずつぶやいとくか。
そういうのって、それで得ているものもあるけどやっぱり失われているものもあるように思う。
要するにバランスの問題なのだけど。
インスタントで短期的な快楽の追究ばかりにならないように自分自身もう少しチューニングし直したいし、世間がそういうものばかりにならないようにしたいとも思う。
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facebookのつまらなさについて考えていたのだけど、人間関係の固定に加えて、だいたいアウトプットされてくる情報というのが想定の範囲内に収まる事も面白味の足りない部分なんだろうと思ったりした。
その人の人となりについて自分の知らない一面、というかその人により興味を持ったり、好きになったり関係を深めていくのに意味のあること、が流れてきてほしいし、その流れで双方の知人同士がまたつながっていくようになるならSNSとして意味があるのだろう。
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特定のテーマに基づくコミュニティ系サービスを成功させるには、そのコミュニティに参加するためのハードルは少し高めに設定したほうがよいのではないかと。
登録者数やらPVやら数字が大事なので参加者を増やす意味で参加する障壁は下げる設計のサービスが多い。けど、そういうことするとコミュニティとしての「濃さ」が下がってつまらなくなる。
コミュニティに合わない人の参加を極力避けるにはどうしたらいいか、っていうことについて少し研究してみたい。
…みたいなことを
http://matome.naver.jp/odai/2136901581146809401
これを見ながら感じた違和感に基づいてあれこれ考えながら思ったりした。
Webは参加する人が増えたことによってひたすら大衆化の道を進んでいるだけで、1.0だ2.0だなんて区分けにはあまり意味は無いように思う。
一眼レフみたいな大仰な道具で、写真を撮るぞ、作品を作るぞ、という気持でじっくり撮影をする、とか、推敲に推敲を重ねて磨き上げた文章を仕上げる、とか、そういうことに腰を据えて取り組むのがなんか億劫になっているというか。
一眼レフは重いし持ち出す気にならないからiPhoneのカメラでいいか。
文章をしっかり書いて投稿とか面倒だしアウトプットできなくなるからTwitterでとりあえずつぶやいとくか。
そういうのって、それで得ているものもあるけどやっぱり失われているものもあるように思う。
要するにバランスの問題なのだけど。
インスタントで短期的な快楽の追究ばかりにならないように自分自身もう少しチューニングし直したいし、世間がそういうものばかりにならないようにしたいとも思う。
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facebookのつまらなさについて考えていたのだけど、人間関係の固定に加えて、だいたいアウトプットされてくる情報というのが想定の範囲内に収まる事も面白味の足りない部分なんだろうと思ったりした。
その人の人となりについて自分の知らない一面、というかその人により興味を持ったり、好きになったり関係を深めていくのに意味のあること、が流れてきてほしいし、その流れで双方の知人同士がまたつながっていくようになるならSNSとして意味があるのだろう。
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特定のテーマに基づくコミュニティ系サービスを成功させるには、そのコミュニティに参加するためのハードルは少し高めに設定したほうがよいのではないかと。
登録者数やらPVやら数字が大事なので参加者を増やす意味で参加する障壁は下げる設計のサービスが多い。けど、そういうことするとコミュニティとしての「濃さ」が下がってつまらなくなる。
コミュニティに合わない人の参加を極力避けるにはどうしたらいいか、っていうことについて少し研究してみたい。
…みたいなことを
http://matome.naver.jp/odai/2136901581146809401
これを見ながら感じた違和感に基づいてあれこれ考えながら思ったりした。
Webは参加する人が増えたことによってひたすら大衆化の道を進んでいるだけで、1.0だ2.0だなんて区分けにはあまり意味は無いように思う。
2013年5月9日木曜日
2013年5月9日
最近のAdobeはイケてないな、と思ったのだけど、よく考えてみたらそれは違うのか。
Web屋的視点で言うと、Adobeはもともとイケてなくて、Macromediaの買収でMacromediaのイケてる成分を取り込んでイケてる風になったんだけど、結局中身は元のAdobeのままだったんだね、っていう感じ。
Macromediaはなんとなく「次の世代のWebは俺らが主導していくぜ」っていう感じあったんだけど、Adobeになって以降、世情などもあって色々完全に後追いになってきてる感がある。GoogleとかAppleとかにWeb方面の主導権握られた感のあるMicrosoftと似てるなーってなんとなく思ったり。
しかしなんでもいいけどCreativeCloud、多分ほとんどの人はWebとか印刷とか動画とか、一部のソフトしか必要ないと思うのね。とすると、CreativeCloudをCSのマスコレ相当だってイメージして考えると、ほとんどの人にとってなんか要らない金払わされてる感覚になるはずで、その辺もうちょっとうまいやり方もあったのではないかと。ソフトがいいとか悪いとかは横においといて、ひとまずAdobeは商売がヘタなんだな、と。そんなことをぼんやりと思う夕暮れ。
Web屋的視点で言うと、Adobeはもともとイケてなくて、Macromediaの買収でMacromediaのイケてる成分を取り込んでイケてる風になったんだけど、結局中身は元のAdobeのままだったんだね、っていう感じ。
Macromediaはなんとなく「次の世代のWebは俺らが主導していくぜ」っていう感じあったんだけど、Adobeになって以降、世情などもあって色々完全に後追いになってきてる感がある。GoogleとかAppleとかにWeb方面の主導権握られた感のあるMicrosoftと似てるなーってなんとなく思ったり。
しかしなんでもいいけどCreativeCloud、多分ほとんどの人はWebとか印刷とか動画とか、一部のソフトしか必要ないと思うのね。とすると、CreativeCloudをCSのマスコレ相当だってイメージして考えると、ほとんどの人にとってなんか要らない金払わされてる感覚になるはずで、その辺もうちょっとうまいやり方もあったのではないかと。ソフトがいいとか悪いとかは横においといて、ひとまずAdobeは商売がヘタなんだな、と。そんなことをぼんやりと思う夕暮れ。
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